お父さんが情けなくて、思春期真っ只中の私は傷つける言葉も言った

お父さんの愚痴っぽいところが嫌いだった。見栄っ張りで、喧嘩っ早くて、だらしがない。
どれだけ母を困らせていただろう。
意気揚々と立ち上げた会社は数年で倒産。多額の借金に翻弄され、引っ越しも余儀なくされた。

私と兄は何がなんなのかわからぬまま転校させられ、環境に慣れないイライラを父のうだつの上がらなさのせいにして、ぶつけていた。
社長気分が抜けなかった父は、どこの職場へ行っても馴染めなかった。夕方に父が家にいるとがっかりした。

あぁ、また今回のところも続かなかったんだな...…。

次第に父はタバコとアルコール摂取量がどんどん増えていった。
私は思春期真っ只中で、お父さんが大嫌いだった。酔っ払い、母を悩ませ、情けない父が恥ずかしかった。傷つける言葉を沢山言ってしまった。

社会人になり結婚した私。父が抱えていた不安に気付けるように…

私が中学3年生の冬、父が脳幹出血で倒れ、そのまま亡くなった。
父の死後の手続きに追われる母に連れられ奔走しているうちに、気がつけば私は高校生になっていた。

後悔、悲しみ、恐怖、寂しさ、怒り。
数え切れない感情の数々に振り回され、泣き、これではダメだと再度立ち上がり、またしゃがむ。
私の気持ちの整理がつくまで待ってくれようとはしない日々に、なんとかしがみついていたら、気がつけば私は成人し、社会人となり、結婚していた。

日々の仕事に疲れ、傷つき、自分だけでは抱えていられない、とパートナーに愚痴をこぼす。

私はタバコも吸えず、お酒も飲めないが、押し寄せる現実が不安でたまらなくて嗜好品に逃げたいという気持ちが湧き上がるときもある。
プライドが高く、ダメなやつだと思われたくない反面、休日は寝てばかり。自堕落な自分を恥じた。

生活費を稼いでいくことのプレッシャー、ずっとこんな気持ちを抱えながら毎日を過ごすのだろうか、私はやっていけるだろうかというような数々の不安。

もし父と話をすることができるのなら、第一声はこう言うだろう

お父さん、事業が失敗してしまった時、あなたはどれほどの絶望と責任に苛まれていたのでしょう。
社長から一転、アルバイトととなり、これからも家族を養っていくというプレッシャーがどれほど重くのしかかっていたことでしょう。
共働きをしていても、子供2人を養うには充分でなく、休みの日も自転車に乗って出勤し、働いてくれていたお父さん。

お金はないけど、おにぎりもって海に行こうよ!と言って、家族で出掛けたがったお父さん。
俺にも作ってくれよ。と私がつくるオムライスを食べたがるお父さん。
私が部活動でいい成績を残せると、本当に俺の子かなぁと嬉しそうにするお父さん。

思い出せば思い出すほど、後悔ばかりが募る。あの時たしかに嬉しかったこともあったはずなのに、辛い現実の影に覆われて見えなくなっていた。
どうして、あの時もっと父の気持ちに寄り添ってあげられなかったんだろう。

もう遅いけど、お父さん、ごめんなさい。
ずっと、ずっと頑張ってくれていたのに。

もう叶わないけど、お父さんに伝えたいことが山ほどあります。
私も大人になりました。生きていくということはこんなにも大変なことなのですね。
嫌いだと言ってしまったけれど、今はそうは思いません。

生きていてほしかった。
私が20歳になったら、一緒に居酒屋に行こうねって約束していたのにね。
きっとお父さんと、今大人になった私が話をすることができたら私は第一声こう言うだろう。

お父さん、今ならあなたの気持ちがわかります。