私の構成要素には、知らず知らずのうちについた「染み」がある

自分らしさなど、この世に元々存在しない。私本体ではないものが、複雑に絡み合って私をつくりあげている。
私の構成要素は、今まで出会ってきた人たち、訪れた場所、愛用した物だ。
これらは、どれだけ大切に想っていたとしても、私とは切り離された存在である。

それでも、人間の生きがいというものは、自分らしさに起因する。私だけの体験があると思い込むことでしか、人生を意味づけることはできないのではないか。私は元々、絶望している。

それなのに、更に落ち込むこともある。私を構成する要素が、私が愛しているものだけならば良いのに、知らず知らずのうちに付いた染みがある。
それが私にとっては、父だった。

自分らしさの中に、父の嫌いなところが入りこんでいる。今でも実家暮らしだから、私の中に入りこむ父の要素は更新されていく。

「こんな人にはなりたくない」と思いながらも、私の中には父がいる

父は電車から降りてくる人を待たずに乗り、自分の行く手を塞ぐ人に対しては小声で「邪魔だな」と呟きながら押しのけていく。常にチャンネル権を握り、スポーツ観戦の時は今まで通報されなかったことが不思議なぐらいの大声で野次る。経済的に困窮した人のニュースを見た時は「甘えるなよ」と言いながら冷めた目を向ける。

こんな人にはなりたくないと思いながらも、私の中に父を見ることがある。
会社の研修の後、いつまでも帰らずに長話をして待たなければいけない時、さっさと一人で帰りたくて苛々するような、協調性のなさ。

この話をすると、「一匹狼のところは、俺に似たな」と父は言った。「お父さんに似たね」と母まで嬉しそうに相槌を打つ。その家族っぽい、生あたたかい空気を跳ねのけるように否定をしたいのに、私は曖昧に笑っている。

父と話していて楽しいこともあるし、優しさを感じることもある。それが、物事をややこしくする。最初に挙げたような、明らかにモラハラな面だけを知っていれば、金輪際関わらないと割り切ることができただろう。

しかし、出張先からの紙袋いっぱいのお土産や、デスクに飾る私と妹の写真、そんなものが目に入る度に父をよく思うことのできない、自分に罪悪感が湧く。

私の一番の構成要素である「映画」に隠された、父との幼少期の思い出

そして、私の一番の構成要素である「映画」についても父が影響しているので、父を否定することが、自身を否定することに繋がるもどかしさもある。
映画に関する仕事をする中、職場の上司や先輩に必ずと言っていい程「ご両親は映画が好きなの」と聞かれた。私は最近まで「両親は映画をあまり観ません」と嘘をついていた。
「映画」さえも、父に取られてしまう気がしたからだ。

本当は小学校に入学する前から、家族4人、両親と私と妹で映画館に行くことが習慣になっていた。父が映画との出会いをつくってくれた、これは否定のできない真実だ。
それでも、小学生の時に観た作品を思い出そうとしても、父の嫌な態度が浮かんで、胸がチクリと痛み、心からよい思い出として思い出すことができない。

当時通っていた映画館にはポイントカードがあって、6ポイント貯めたら、1回無料で観られるという仕組みがあった。その頃は発券したチケットを持ってカウンターに行き、紙にスタンプを押してもらう仕組みだった。

もちろん、1人1枚の発行で、1回の鑑賞で1ポイントしか貯められない決まりだ。しかし、父はなるべく少ない枚数にした方が年会費を節約できるし、ポイントが貯まりやすいという理由で、家族で1枚だけしかポイントカードを作らず、私や妹にカウンターを往復させた。

「こうはなりたくない。でも、大切な人」これが私の素直な気持ち

私は決まりを破りたくなかったし、心細くてやりたくなかったけれど、父に逆らうことはできなかった。カウンターの前の列に並んでいる時、1回目とは違う人になるように全力で祈っていた。

子供のやることだから見逃してくれる係員もいたし、注意してくる係員もいた。いずれの場合も、不審そうな目や心配する目を向けられて、自分をとてもちっぽけな存在のように感じたことを、今でも生生しく覚えている。

何故、父はこんなことをさせたのか。もちろん、ケチな性格も起因しているとは思うけれど、家族に少しでも映画を多く観させてあげたいという気持ちもあったのではないだろうかとも思う。

私という存在を一言で言い表すことができないのと同じように、父という一人の人間を完全に嫌うこともできない。私の構成要素が複雑であるならば、父の内面も複雑だろう。それでも、「こうはなりたくない」この素直な気持ちを、無理矢理押し込めるつもりはない。

許せないことは否定しない、でもその人の存在自体を完全否定することは、たとえよく知っているように思える父に対してでもできない。
「こうはなりたくない。でも、大切な人」相反するように思えても、これが私の素直な気持ちだ。