「本当誰とでも仲良くなっちゃうよね」
と、私は今まで言われ続けてきた。しかし、そう言われ始めたのは、正確には高校卒業後からだ。
高校時代までは私は、どちらかと言うと人見知りするタイプだった。話しかけられたら話す。特に話しかけられなければ話さない。幸い、中学、高校と陽キャグループに属していたため友人は沢山いた。中学の頃は偶然席が前後になった子がクラスの中心的な明るい子で、その子と行動していると自然と私の周りも友達が集まるようになっていた。
高校時代も同じような感じで、男女の混合グループだったためか、他のクラスの一番明るいグループと一緒に文化祭や体育祭を盛り上げる中心メンバーに属していた。しかし、それは環境に恵まれていただけで、私自身の魅力や、性格でできたことではない。
地元から東京の専門学校に参加した時、自分の人見知りを痛感した
高校二年生の夏休みに地元の福島から一人で、東京の専門学校のオープンキャンパスに参加した。その時に自分がどれだけ人見知りかを実感した。
その専門学校はホテルマンを育成する学校だからか、参加している学生はみんなコミュ力が高い。ぼけっとしている間に私以外で仲良しグループができていた。私の思うオープンキャンパスは一人で学校内を巡ったり、説明を聞いたりするだけだと思っていたが、専門学校のオープンキャンパスは想像とは違っていて、二人一組にさせられレストランスタッフの仕事や、フロント業務など様々な体験をさせられた。
お昼は各自取るのだが、そこでもやはり仲良い子たちは「一緒に食べよ~」と言い固まって食べていた。その時私は焦りよりも絶望を感じた。『そうだ、ホテルマンになるのにコミュ力が無いなんて終わりだ』と。
その数ヶ月後、私は見事その専門学校に合格し、春から東京で一人暮らしをすることになった。
脱・人見知りのための勉強のおかげで、入学後間もなく友達ができた
受験が終わってから三月に上京するまで半年はある。それから私は人が変わったように勉強を始めた。周りの友人にはなんで今勉強してるの?と疑問を持たれたが、私が勉強しているのは、『キャバ嬢の接客術』や『コミュ力を上げる方法』などといった脱・人見知りのための勉強だった。
その猛勉強の甲斐もあり、上京し、専門学校に入学した際は何も問題なく友人ができた。それからバイト先も見つけることができた。福島の田舎から出てきた芋娘から見た東京はとても輝いていて、楽しかった。
「コンビニがこんな近くにある!」「イケメンが沢山いる!」「終電がこんな時間まである!」
地元には無かったものが沢山あって毎日がすごく新鮮で、毎日遊び呆けていた。それが功を成し、自然と人見知りは治っていった。
人見知りだったから今の私がいる。これからも自分らしさを大切に
居酒屋で席が隣になった知らない女の子グループと仲良くなり、そのまま朝までみんなで飲んだり、東京でできた新しい友人のそのまた友人と二人で遊びに行くほど意気投合したり、などの脅威的なコミュ力を身につけることができたのだ。しかし、それと引き換えにバイトで働いた分のお金は、月末になると空っぽになっていた。
田舎にいた頃の私は、コンプレックスの『コミュ力が無い人見知り』を言い訳に小さい世界で満足していた。だが、人は窮地に陥った時本当の力を発揮できることを学んだ。こんなに世界は広かったのか、と都会に出て心の底から思った。
学生時代に身につけたこのコミュ力を活かし、今はずっと夢だったホテルマンとして働いている。ホテルにいらしたお客様といろいろな話が出来て、喜んでもらえてこの仕事は本当に天職だと思っている。
人見知りで悩んでいた高校生の私がいたから、今の自分がいるのだと思う。人見知りを改善したい!と思い頑張ったあの時の自分がいるから、今ホテルマンとして輝けているのだ。
人見知りだった私も私。今驚異的なコミュ力を身につけた私も私。
どっちの私も否定せずに、これからも自分らしさを大切にしていこうと思う。