あの子がいたから今、自分はこの道を歩んでいる。

あの子は母のお友達で、自分が小学生の時からずっと母と共に仲良くさせてもらっていた。その中でも、一番あの子のおかげだなと思う出来事がある。

デザインに興味を持った私に、あの子がくれたのは学校名が書かれた紙

自分が高校1年生の夏休み、進路のために大学のオープンキャンパスへ行く宿題が出され、進路のことを少しずつ考えるようになった。ただ、大学にはあまり興味がなく、専門学校で何かを集中して学びたいという気持ちが大きかった。

ただ、何を専門的に学ぶかを母や担任の先生に相談をした時に、母からは昔から絵を描くのが好きだったという話しを聞いた。先生からは、美術の成績が良いからと話す中で、デザインの学校に行ってはどうかと提案されて、初めてデザインというものを知った。

デザインとは何かをネットで調べ、興味を持ち、色んなデザインの展示会に足を運んだ。その間もデザインの専門学校をいくつか行ったが、どこも腑に落ちずにいた。そんなことをしているとすぐに1年が経ち、高校2年生の夏、私にあるデザインの専門学校名が書いてある紙を渡してくれたあの子。

調べてみると説明会をやっていたので、1人で行くことにした。初めてビビッときたと思った瞬間だった。たかが説明会でと思うかもしれないが、自分でここだ! と思った。帰って母と先生にここに行くことを伝え、先生からはレベルが高くて行けないと言われた。

先生も母も無理だと思っていたけど、あの子だけは「大丈夫」と言った

今まで絵の基礎を学んだことはない。美術の授業だけで行けるような学校ではなく、基礎を教えてくれるところに行き、学ぶことをしないといけないと思った。なぜなら、その学校は美大を目指す子達が、滑り止めにと選ぶ専門学校だから、今から相当勉強しないと無理だと先生に言われた。それでも行きたい。もし、今回ダメだったら浪人してもいいから入ろうと決めていた。

しかし、あの子は「はるなちゃんなら大丈夫」と言ってくれた。母も無理だと思っていたくらいなのに、唯一「大丈夫」と言ってくれたあの子。その言葉があったから、予備校に通えるお金がなくて、それでも無料体験や数日限定の体験、絵画教室などにアルバイトのお金で行ったこともあった。

美術の先生には、あまり見ることできないと言われたが、それでも教えて貰える時は教えて貰い、お昼に美術室を使用していいと言われ、鍵をかりて1人で絵を描いて練習をした。そんな中で、もちろん「何やっているの」と笑われ、馬鹿にされることもあり、言い返すことはしなかったが悔しい思いをした。

上手く描けない時もあったけど、お家に帰るとたまに遊びにきていたあの子は「はるなちゃんなら大丈夫」「凄いね」と励ましてくれたことが嬉しかった。母もその時、話しを何度も聞いてくれて支えてくれた。

悔しい思いもしたけど、頑張ってデザイン学校に無事合格した

毎日デッサンや色彩の勉強をほぼ独学で3年生の試験当日まで続け、その間行きたいと思っていた学校一校に絞り、説明会や文化祭など行事があれば毎年欠かさずに行った。自分は、AO入試で受けると決めていたから数少ない作品に加えて、行きたい学校の授業で何をしているのかを学校のホームページや説明会にいる先輩方に聞いて、自分なりにアレンジをした作品もいれた。

自分をプレゼンする、自分を売り込むのがAO入試だと解釈していたから、一つのファイルを作り上げるのが楽しくもあり辛くもあった。毎日徹夜して作り、当日試験を受けた際の先生の2人は、自分のファイルを見てプレゼンを聞いて「珍しい」と言った。普通は過去の作品を持ってくるらしい。でも、自分はその学校に入りたいために、その学校の授業内容まで加えていたため、珍しいということだった。それが逆に良かったのか、無事合格をした。

合格の結果を母とあの子へ、まず電話で報告をした。母は驚いていたけど、「おめでとう。頑張ったね」と言ってくれて、あの子は「おめでとう。よかったね」と2人ともとても喜んでくれた。母は驚いた余り、その後すぐ携帯をトイレに落として壊していた。

あの子が一枚の紙に書いて学校を教えてくれなければ、悔しい思いや頑張らずに適当に入れる大学で、それなりに勉強をしていたと思う。あの子のおかげで行きたい学校が見つかり、やりたいことを学べた。感謝の気持ちを忘れず、また新しい道を歩んで行こうと思う。ありがとう。