真面目で見栄っ張りな私は、こうありたい自分でいるために必死だった

4月から私は何者でもなくなる。何者でもないから何者にでもなれる、というポジティブな比喩ではない。どうしようもなくて何者でもなくなってしまうのだ。

私は4月から浪人する。昨冬の受験大競争に敗れてしまったからだ。私の第一志望校には中学が同じだった親友が合格した。
私は小さい頃からプライドが高く、見栄っ張りだった。結果を残せたことも残せなかったこともあったが、美術や習字は表彰されるために真剣に取り組んでいた。

友チョコという文化が根付き始めた頃には、カップケーキとかクッキーじゃなくて、かっこいい名前のお菓子を調べに調べて作ったものだ。本当に真面目だったのもあるし、真面目だと思われたいと強く願っていたこともあり、最終的には生徒会長をやるに至った。

しかし、次第に「こうありたい自分」と「こうである自分」との差に耐えられなくなっていった。

中学の卒業アルバムには「こんな子だと思わなかった」という旨のメッセージが数多く書かれている。仲良くしてくれた友達は、殻が破れて良かったと喜んでくれた。
しかし元々私のなかに「こんな子」が居たのか、居たとしてそれが露呈したのは喜ばしいことなのか、そのときはなにも分からなかった。

高校に入り「真面目」を捨てたけど、友人に隠すことが苦しかった

高校生になり、もうなにも頑張りたくなくなってしまった。真面目、というイメージを抱え込むことの大変さに気づいた私は、元生徒会長という肩書きが一切バレないように細心の注意を払った。

というのも、同じ高校に同じ中学の生徒が私以外に二人いたからだ。片方は生徒会の副会長でもあった。なんとかバレずに(バレていたとしても気づかずに)過ごしていたが、身内とも言えるくらい仲良くなった友達にもそれを隠していることに罪悪感を抱くようになった。

中身を見透かされるのが怖くて、中身の無い自分を演じていた。中身にがっかりされるのが嫌だった。私が生徒会長だったという事実は、私の中身に大きく関わるものだと思っていた。それを隠しているのが苦しかった。

修学旅行最終日の夜、私は意を決して生徒会長だったことを告白した。ちゃらんぽらんに過ごし、笑い声が大きくて、数学と英語が壊滅的に出来ない。高校での私は、それだけの私だと思っていたから、そう思われていると思っていたから、さぞ驚かれるだろうと身構えた。
しかし、返ってきたのは「この学校にはそういう人結構いるよね」という、特に関心のなさそうなひとことだけだった。

予想外の返事に驚いた。私はずっと過去に囚われ続けていたんだ

このとき私は、予想外の返事に少しがっかりしたと同時に、大切なことに気づかされた。
隠したいと思っていた過去に囚われ続けていたのは私自身だったこと。
過去の自分に貼られたレッテルを覆い隠すためのレッテルを、上からさらに貼ろうとしていたこと。

そしてそれには何の意味もなかったこと。
友達の、一切の驚きの見えない声色から、過去の私はそこまで大切ではないことを知った。大切なのは、今、息をしている私なのだ。

高校三年生になり、受験があり、不合格だった。四月からの私は、「こうありたい」私とはかけ離れた毎日を過ごすことになるだろう。そしてそれもいつか過去になったとき、浪人生としての時間を恥じるのではなく、「今の私が好きだ」と言えるようになりたい。
そのために、未来の私が喜べるような未来のために努力したい。