雨の音で思い出す、雲ひとつなく晴れたあの日。
大好きなあの人と一緒にバスタブにもたれかかりながら話したあの日、大切な恋人が出来たからと関係を拒まれ、フラれた日の事を思い出す。

彼とはSNSで知り合い、写真という共通の趣味を通じて仲良くなった。
彼の撮る繊細で美しい写真に私は一瞬で心を奪われた。
ある日、一度食事も兼ねて撮影しようという話になり、彼のアトリエに遊びに行く事になった。お酒を飲み、タバコを吸いながら、自分達のことを少しずつ話しながら撮影をする。ゆったりとした時間とは裏腹に終電が無くなるまでは一瞬で、互いが惹き合う時に漂うあの不思議な雰囲気に強烈に呑まれた事を今も鮮明に覚えている。
人を好きになる時はいつもこうだ、思考より先に身体が本能に従って動いてしまう。

複雑な恋心。友人への罪悪感を感じながら過ごす日々に気づく彼

彼は、初めて会った日から、まるでずっと昔からの知り合いの様な居心地の良さのある人だった。
それもそのはず、当時レズビアンであり、長年私に恋心を寄せてくれていた親友が初めて恋した男性が"彼"だったのだから。
恋愛としては見れなかったけど人として大好きな子、お互い今の親友という関係になれるまで沢山ぶつかりあいながら友情を深めてきた子、その親友からの相談をいつも側で聞き、その子がフラれた時も慰め、励まし、朝まで一緒に飲みに行った。
私の好きになった彼は"あの彼"だったのだ。

世間はとても狭く、現実は小説より奇なりとはよく言ったもので、一見何の繋がりがない相手でもフィーリングの合う人というのは自然と縁が繋がってしまうものだ。
その事実を知った以上、親友に黙って関係を進める事は私には出来なかった。

2人が過去に何があったかを知っていても、気持ちは理屈じゃない、2人の関係と私と彼の関係は別の問題、この関係性は少し複雑なだけで別に大したことでは無い。
そう思いつつも、私が事実を話した時のまだ彼への気持ちを引きずってる複雑な表情をした親友の姿が私の頭の端にチラつき、彼と関係を深める事には常に罪悪感があった。
事実を知ったその子が私と彼の関係に度々介入してきた気持ちは、痛いほど分かってしまう。

親友を悲しませたくない、でも好きな人を諦めることも出来ない、そんなあべこべでギクシャクしたままの心はやはり伝わっていた様だ。自然体で居られなくなった私を見て、彼の中の私に対する興味は徐々に薄れていき、次第に気持ちが移り変わったのだろう。
新しい出会いがあったらしく、彼はその人と恋に落ちてしまったのだ。

才能に恋をする彼が選んだ人に届かなかった私の想い。雨が失恋の涙を誘った

彼の恋人になった人はどんな人なのだろうか…きっと彼の好きになる人だから素敵な人であるに違いない。
「どんな人なの?」という質問にあえて相手の職業だけ伝えてくるあたり、私の事を良くわかってるなぁと思う。
きっと素敵な才能に溢れた人のはず、彼は才能に恋をする、そんな人だから。
ハッキリと理由を言わなかったのは、彼なりの気遣いなのだろう。

「今も私は凄く好き、でも今貴方が恋してるのも、私への気持ちが離れたのも感じてる」
そんな私の告白に「応えられなくてごめんね…」と私の手を握りながら謝る彼のぬくもりを感じつつ、私はただひたすら湯に浮かぶ情け無い自分の顔を見ていた。
不思議と涙は出てこなかった。

実は、自分の恋愛感情を本人に伝えるのは人生で初めての事だった。今まで、嫉妬、欲望、見栄、様々な"感情"を孕んだ、嫌でも綺麗とは言いがたい自分を巣食う"恋心"を私は恥じ、恐れていた。感情のままに相手にそれを伝える事は攻撃に等しいとさえ思っていた。
そうやって幾度なく飲み込み続けた気持ちは消化しきれず、行き場の無いままずっと心の底に蓄積されていた。初めてちゃんと自分の気持ちを言葉にし素直に伝え、そして彼がその言葉を受け入れ彼自身の気持ちを伝えてくれた事で、過去に置き去りにしてしまっていた気持ちも一緒に解放された様に感じていたのだ。
晴れやかな天気につられてか、どことなくスッキリとした爽やかな感覚すらあった。

悲しみは翌日、雨の日にどっと襲ってきた。
私はコテンパンにフラれたのだ、私ではない人に私が欲しかった愛が惜しみなく注がれている。その現実がのしかかってくる。雨につられ涙がダラダラと流れ出る。

帰り道、いつもの様に2人でコーヒーを買い、タバコを吸い、別れ際にハグをした。こんなにも相手の気持ちが伝わって来なかったのは初めてだった。
惹かれあった時より深くお互いを知れたのに、心はどこか噛み合わず交わる事を拒絶している様だった。
不思議なもので、見えない心は身体を通してより深く伝わってくるものだ。
その事を強く思い出させる雨の日の湿度は度々その時の切ない気持ちで私を支配する。

恋人になる事だけが恋の終着地ではない、誰かを恨む事は心の解決策にはならない、彼を思うこのチリチリとした胸の痛みは、雨のじっとりとした空気と共に私の記憶の中にこれからも住み続けるだろう。たとえ他の人に恋をしたとしても。

実らなかった恋心は雲に乗り、雨となって心に降り注ぎ流れ去ってゆく、晴れたあの日の不思議と爽やかな気持ちと、失恋の悲しみが入り混じった複雑な感情は、これからも流転しながら繰り返し私の心の地盤を強くしていく事だろう。