夏の気配が近づく度に思い出す、勇気を振り絞って身を投げ出したあの挑戦について書きたいと思う。
彼と出会ったのは、東海岸特有の肌寒い春がやっと終わった初夏のボストンだった。
夏休みに入ったヨーロッパの大学生達が続々と学校内に増え始め、彼もまたその中の一人だった。
いつものようにクラスのドアを開けて席に着くと、彼が私の真向かいの席に座っていた。
吸血鬼を題材にした某海外ドラマの俳優に似ている、柔らかそうなアッシュの髪と垂れ目が印象的な彼に、生まれて初めて一目惚れをした。
グループワークを一緒に行うようになってから自然と仲が縮まり、そこから恋に落ちるのに時間は掛からなかった。
「彼氏はいるの?」と聞かれたり、「君といると楽しい」「綺麗だ」なんて嬉しい言葉をくれる彼から、少なからず好意を向けてくれていることを感じていた。
二ヶ月後には帰国する彼。もしその後連絡が取れなくなったら・・・?
ただ、そんな恋に立ちはだかる大きな障害があった。
彼はまだ大学生だった為、二ヶ月経つと母国へ帰る予定だったのだ。
「付き合い始めて三ヶ月経つまでプラトニックラブ」という、馬鹿みたいな信条を持っていた私に、突き付けられた残酷な真実。
もし付き合えたとして、彼が帰国した後、そのまま連絡が取れなくなったら?
あの頃の私と話せるのなら、「被害者意識が強すぎる!楽しいんでしょ?好きなんでしょ?素直になればいじゃん!」とアドバイスするだろう。
それでも、日本に置いてきた恋人に振られたばかりのボロボロで、自分史上最低に落ち込んでいた私にそう思う勇気は到底持てなかったし、そんな自己肯定感どん底の人間が、告白なんて行為を出来るはずはなかった。
パーティーの次の日、ソファーに彼と私だけ残されて
そんなある日、私の滞在していたアパートでクラスメイトとパーティを開催することになった。
アメリカ人のシェアメイトは仕事で留守にしていたから、どんちゃん騒ぎを咎める人間は誰もいなかった。
彼が早めに到着して作ってくれたお手製のピンチョスと、皆が持ち込んだスナックとお酒と音楽にまみれて、笑い転げて、信じられないくらい泥酔した。
深夜になるまで騒いで、彼を含めた数名がそのまま泊まることになった。
皆はリビングで、私は自分の部屋で寝て目覚めると、すっかり太陽が昇り切っていた。
リビングに戻り、彼と残っていたクラスメイトと一緒に昨夜の残骸を片付けた。
その後クラスメイトが帰ると、そこには彼と私だけが残された。
昨晩の残りのつまみを一緒に食べ終え、大きめのソファーに並んで座ると、嫌でも意識してしまう。
窓から差し込む夏の日差しがリビングと、隣に座る彼の髪を柔らかく照らしていて、見惚れるくらい美しかった。
昨晩飲み過ぎたお酒のせいにしたかったのに、そんなものでは説明がつかない動悸と、お互いの一挙一動を気にしている空気に、もう隠せないかも、って思った。
真剣な顔をした彼と目が合った瞬間、この恋に挑戦してみようと思えた
「きちんと段階を踏まないと!遊ばれたらどうすんの?簡単にやれる日本人女って思われるよ?」って、しつこく私の中で鳴り響いていた言葉達は、彼が真剣な顔をしてこちらを向いて目が合った瞬間、跡形もなく吹き飛んだ。
外人とヤるビッチ?そんなやっかみと偏見にまみれた決まり文句は、私を止めるには不十分で。
そして、彼と自分の顔のあいだの距離が0になったことに気付くと同時にキスをしていた。
遊ばれてもいいなんて、どうしても思えなかったのに。
それでも彼に、この恋に、挑戦してみようって思えた夏の始まりだった。
結果を言えば、彼とは五年間遠距離恋愛を続けた後、私から別れを告げた。
それでも、お互いの家族ぐるみで仲良く付き合った彼と作った思い出たちは、私の一生の宝物だ。
これから何回夏が訪れても、しわしわのおばあちゃんになってからでさえも、この思い出は私をあの日に連れて行ってくれるだろう。
あの夏の挑戦が、自分の信条を破ってまで飛び込んだ恋が、私にくれたもの。
それらを思うとそわそわと嬉しくなって、ちょっと切なくなるのだった。