フるとかフラれるとかなしに、わたしたちは会わなくなった。

彼は道の歩み方を相談できる先輩、そして特別な存在になった

彼との出会いはライブハウス。友達のライブを見に行った時に彼とは出会った。
とても素敵な声で、心地よい音楽をする人。そんな印象だった。
どんなふうにしてその音楽が作り出されるのか知りたいと思って、話をしてみたいと思った。
話してみると、初めて会ったような気がしないくらいに打ち解けた。それから連絡先を交換して、なんとなくそのやりとりが続いていった。
わたしは彼の音楽が好きだった。
彼のライブに何度もいくうちに、音楽をしていてるわたしにとって、その時、一番身近で影響を受ける人になっていった。帰る方向が同じで一緒の電車に乗って、喋りたらずに途中の駅で降りて終電まで話し込んだこともあった。

彼と話をすると、わたしはわたしをよく考えることができた。
わたしは歌で食べていきたかった。
大学を卒業してもバイトを掛け持ちしながら音楽活動をしていた。そんなわたしにとって、彼は誰も教えてくれない道の歩み方を相談できる先輩になった。そして、彼はわたしに素直な弱さと賢明なビジョン、その上で成り立つ音楽を見せてくれる特別な存在になっていった。

だんだん大きくなりつつあった恋心に気付かないふりをしていた

いつしか2人でご飯を食べに行くことが増え、夜中に電話で話し込んだ。
常に音楽の話で、それが何より大切に思えていたから、だんだん大きくなりつつあった恋心に気付かないふりをしていた。彼はわたしにこう言ってたから。
「音楽に集中したいから、好きな人がいても付き合うとかはしたくない」って。

釘を刺すようなこの言葉は、互いの理解者になりつつある関係に溝を作るようになることを、その時は深く考えなかった。
彼にはいろんな相談をした。わたしは、当時元彼に言われた言葉を引きずっていた。
それは遠距離をするか別れるかの話になった時に言われた言葉で、心の深いところに刺さって忘れられない。歌を作る時、いつも壁になっていた。
そのことを彼に話した時に冗談めいた感じで「歌になりそう」と言うから「どうぞ、してください」と笑って言った。本当に歌にするなんて思ってなかった。

元彼に言われた言葉なのに、今の彼のわたしへの気持ちに聴こえた

しばらくして、バレンタイン付近で彼のライブがあった。
その頃にはもう彼への気持ちは確信に近くなり、でも、付き合おうと言い出せなかったわたしは差し入れと言う体でチョコレートを持っていった。
小さく折り畳んだ紙には告白ではなく、彼の歌の一番好きなフレーズを書いた。精一杯の愛情表現だった。そんなサプライズのようなものを抱えて出かけたが、思うようにことは運ばなかった。

その日のステージで彼はわたしと元彼のことを歌った。
元彼に言われた言葉なのに、わたしには今の彼のわたしに対する気持ちのように聴こえた。
元彼の言葉が彼の言葉になった。
涙が出た。
「どうして素でいられるのに、距離が近づいているのに望むような形ではいられないんだろう」って彼との関係を初めて苦しく思った。

知った上で踏み込んでこないし、踏み込んでこれないようにしてる

それから彼に会う度に「今日こそ告白しよう」と思って出かけるようになった。
少しでも可愛く思って欲しくて、服やイヤリング、化粧も気を遣って出かけた。だけど、相変わらず、音楽の話をして笑顔で手を振って別れるのがオチだった。電車の窓の外で手を振る彼が見えなくなると「また言えなかった」と落ち込んだ。

そんなことが続いていたある日、また彼にご飯に誘われて出かけた。
いつもと同じだったけれど、彼の目を見て話をしている時に直感的に感じてしまった。「この人はわたしの恋心に気付いているな」って。そして、知った上で踏み込んでこないし、踏み込んでこれないようにしてるんだって。

彼と出会って2年くらい経ってたけど、わたしたちの関係はあるところからずっと並行して、ずっとそのままだった。そう思うと少しずつ彼との距離を取りたいと思った。
恋心を隠したまま会うことが心底辛くなっていた。
付き合ってるわけでもない、わたしたちの関係ってなんだろう?
友達ではない。友達という言葉をわたしたちは一度も使ったことがなかった。
年上の彼はわたしが悩む度に「いい子だ」って言う。いつからかその言葉に枕詞がついて聞こえるようになった「都合のいい子」って。わたしって都合のいい子なのかな。
少しずつ助けられていた言葉の意味が変わり始めた。
それは彼との距離だけではなく、恋心なしに付き合える違う音楽仲間が他にできたからかもしれない。

不思議な恋だった。関係の都合の良さに苦しみ、わたしを知っていった

気楽に付き合える仲間との時間が増えると、彼の居場所がわたしの中でだんだん小さくなっていった。最後にご飯を食べに行った時に、どことなく弾まない会話の中で、恋が終わったこと、音楽性に違いが生まれていることに気づいた。
その後から互いに連絡をしなくなった。
不思議な恋だった。助けを求めたし、求められた。
けれど、名前はいつまで経ってもつかなかった。
関係の都合の良さに苦しみ、そして、わたしはわたしを知っていった。
そのことは全て歌になった。わたしは力強く歌えるようになった。
だからきっと、もう会わなくて良くなったんだと思う。
あの恋があったから、わたしは今も歌っている。