「天然パーマ」「毛量が多い」「白髪が多い」
 自分の髪質には小学生の頃から悩んできたが、唯一「茶色い髪色」なのは気に入っていた。だが、その「茶色い髪色」にも苦い思い出がある。

「地毛を黒く染めろ」という、なんとも矛盾した話をされた

 高校の卒業式を間近に控えたある日、私を含む数名の生徒が教員に呼び出された。
「髪が茶色いと、卒業式で来賓の方から、『髪を染めている』と思われるかもしれない。お前達が悪く言われるといけないから、卒業式は髪を黒く染めて来たほうが良い」

 言われてみれば、集められた生徒たちは皆、茶色系の髪色であった。だがいずれも地毛であることは、かねてから教員も把握していたはずである。しかしながら、この期に及んで黒く染めろとは。しかも「染色禁止」という校則があるにも関わらず「地毛を黒く染めろ」という、なんとも矛盾した話を大真面目にされたのである。「お前達が悪く言われないように」と、あたかも生徒を擁護するように言い繕っているが、要するに「茶髪がいると『素行の悪そうな生徒のいる学校』と思われる」というのが本音であろうことはすぐに理解した。

 その後も、「お前達が不利益を被らないように」という建前で話は続き、最後には「卒業式までに髪を黒く染めてくるように」と言い渡された。さらに「市販のヘアカラーはうまく染まらないこともあるから、ちゃんと美容院で染めたほうが良い」との条件まで加えられて、指導は終わった。
「理不尽」「世間体」…様々な言葉が頭に浮かんだが、何一つ言えなかった。

唯一好きだった髪色まで問題視された怒りと悔しさは忘れられない

 帰宅後、この話を聞いた母は激怒し、学校に抗議しても良いと言った。だが、抗議など無駄だと思っていた私は、(この際、とことん黒くしてやる)と、ささやかな闘志を燃やしていたのである。

 数日後に美容院に行き、最も黒い色を選んで髪を染めてもらった。いかにも「染めました」といわんばかりの黒髪に、地毛の茶色を褒めてくれていた友人達が「違和感あるね」と笑ってくれたことは嬉しかった。だが、普段あまり話すことのないクラスメイトまでもが声をかけてくれ、「黒もいいね」と言ってくれたのは予想外であった。教員への苛立ちは拭い切れなかったが、不本意なイメチェンが注目を集め、思いのほか褒められたことで、(これも悪くないか)と思うことができたのである。

 とはいえ、今でもこの事を思い出すと教員への怒りと悔しさがこみ上げ、「今ならこう言ってやりたい」という言葉を色々と考えてしまう。自分の髪には散々悩んできたが、唯一好きだった髪色まで大人に問題視された、あの気持ちは今も忘れられない。

誰かの言葉で、「この髪も悪くない」と思えることもあった

 現在私は会社員である。体質の変化なのか、10代の頃よりも地毛が黒めになった。友人からは「なんで黒くなったの?」と言われ、自分でも少し残念に思っている。髪色が黒くなったのに白髪は健在だが、20代も後半となり(若白髪とももう言えないか)と受け入れるようになってきた。天然パーマ、毛量の多さは相変わらずで、縮毛矯正により幾分マシになったものの、雨や湿気の多い日は悪戦苦闘し疲労する。

今の会社は、よほど業務に不相応でなければ、髪色や髪型の規則は無い。何にも縛られず自由に髪を扱えるようになった今だが、それでも理想の髪には程遠く、人の目なども気にして悩み続けている。

 だがある時、毛量の多さを「いいな」と言われ、自分と逆の悩みを持つ人もいるのだと知った。「悩みは人それぞれ」というのは当然と思うが、自分の髪が羨ましがられるとは思っていなかったのである。

 長年悩み、苦い思いもした自分の髪。でも誰かの言葉で、(この髪も悪くない)と思えることもあった。これからもこの髪と付き合っていくのだから、たまには(この髪も悪くない)と思える自分でいたい。