「幸せになってね」というのが、母が私に言った最後の願いだった。私が高校に入学してすぐの5月、母はがんで亡くなった。でも、私の中には、母の願いとは真逆の、なかなか破ることのできないルールがある。
「私は幸せになってはいけない」
皮肉なことに、このルールを私の心の奥深くに植えつけたのが、最後に私の幸せを願って亡くなった母自身であるということを、今、もし母に伝えたら、母は一体どんな顔をするのだろう。
私がなんとかしなくちゃ。幼かった私は母に笑顔になって欲しかった
今思い返すと、母は気分にものすごくムラのある人だった。一緒に喜ぶときには本当に嬉しそうに豪快に喜んでくれたし、私が学校でよい成績を収めた時には全力で褒めてくれた。
でも反対に、私が何か失敗をしたり、間違ったりした時には、ものすごい剣幕で怒った。なんでそんなこともできないの。私が育て方を間違った。そんな言葉を口にしたりもした。
母の仕事が忙しくて疲れている時には、怒りの沸点がさらに低くなった。母が仕事から帰ってきて、見るからに疲れていそうな時や、ため息が多い時はビクビクした。
なるべく母の気持ちを逆撫でしないように、怒られないように、顔色をうかがいながら過ごした。
母が辛そうな時、疲れている時、不幸そうに嘆いている時は、全て私のせいだと思っていた。私がいい子じゃなかったから。私がなんとかしなくちゃ。
幼かった私は、ただただ母に、笑顔になって欲しかっただけだったのだ。幼い子どもが親に持つ、母を愛する気持ちから芽生えた自然な感情だった。
自分を苦しめている意識に気がついた。涙がボロボロこぼれた
けれど、これらの「誰かが不幸になっているのは自分の責任」「誰かの笑顔のために自分を犠牲にしなければならない」という意識が今も強く自分を支配していること、そしてこの意識が自分を苦しめていることに気がついたのは、最近になってからだった。
人間関係がうまくいかなかったり、自分をすぐに責めてしまったり、自分に自信が持てなかったりと、なんとなく生きづらさを感じていた。とあることがきっかけで、カウンセルングルームに通うことになり、何回めかのセッションで、気がついた。
母のことも、そして今一緒に暮らしている父のことも、彼らが幸せそうにしていないのは全部私の責任で、私が彼らを幸せにしないといけない、と強く信じてきたこと。彼らを幸せにできない自分は出来損ないだと信じてきたこと。
カウンセラーにそう言いながら、涙がボロボロこぼれた。ここまで頑張ってきた自分の健気さに、私今までよく頑張ったね、と思ったから泣いたのではない。母のせいで、こんなに苦しんでいる自分がいる、と感じてしまっていることへの罪悪感から泣いていたのだ。
そう気づいて、さらに泣けた。苦しんでいるのは自分なのに、母のことをまだ私は庇おうとしていたのだ。
私はもう幸せになってもいい。「自分を自分で幸せにする」から
母のしたいくつかのことは、たしかに私を苦しめてきたかもしれないけれど、母は確実に、たしかに、私のことを愛していた。そして、母がいなくなったあとも、こんなにも長い間、母の無意識のうちに作ったルールに縛られてしまうほど、私も母のことを大好きだった。
全ては、大好きな母に、私のあの大好きな母の笑顔で、笑って欲しかったから。
だから、もう許そう、手放そう、と思う。
だから、私がこれからの私のために作る新しいルールは、これだ。
「自分を自分で幸せにする」
私はもう幸せになっていい。このままの自分を認めてあげて、好きになっていい。今なら、一点の陰りもない、晴れやかな気持ちで、母にこう伝えられる気がする。
お母さん。私は、幸せになるよ。でもね、実は私はこれまでも、ちゃんと幸せだったんだよ。だから、これからも、大丈夫だよ。
自分で、自分を、幸せにするから。