学芸会のオーディション。それぞれが希望の役に向けて取り組む中で…
私が若干11歳、小学5年生の時のことだ。私の通っていた小学校では2年に1度、学芸会が催される。学年ごとに演劇作品を発表する会だ。それは私たちにとって小学生生活最後の学芸会だった。
演目は児童文学の傑作、斎藤惇夫作「冒険者たち ガンバと15ひきの仲間」に決まった。
私の幼いころ、父が夜寝る前に読み聞かせてくれた、大変思い入れのある作品だ。配役は希望者を募り、オーディション形式で決定するとのことだった。
お祭りごとに積極的な子が多く、主人公のガンバ役をはじめネズミの一行は男女問わず人気の役どころとなっていた。
一方の私は当時ヒールの魅力に憑りつかれていたのもあって、ネズミを襲う恐ろしい悪役・イタチのノロイ役に立候補することに決めた。舞台上で熱い戦いを繰り広げてやるぜ! と、やる気満々でオーディションに臨む。
ノロイ役は別のクラスの男の子に決まった。仕方がない。彼は会場の空気をモノにしていた…ような気がする。結構自信があったから、ちょっとだけ落ち込んだ。
気を取り直して第2希望の役である、オオミズナギドリの群れを率いるリーダー・ツブリのオーディションに備える。クライマックスシーンであるガンバたちの大ピンチに駆けつけ、ネズミたちを空から援護する超かっこいい役だ。
私が待っている間、舞台の上では物語のヒロインである心優しきメスネズミ・潮路役のオーディションが行われていた。希望しているのは、おしとやかなタイプの女の子ばかりだ。声が小さいからもっと大きな声で!という先生の言葉が体育館に響く。
悔しさと悲しさと、いったいなぜ?という気持ちで混乱した
いよいよツブリのオーディションが始まった。クラスメートたちが見守ってくれているのを感じながら、堂々と演技をする。みんなのリアクションも悪くない。横に並ぶライバルである友達と目が合う。彼が目配せで「多分お前だな」と言ってきた。私は思わずにやりと笑う。
私のクラスである5年2組の担任である若い先生が、私の方を見て口を開いた瞬間、隣に座っていた1組の先生がそれを制した。何か耳打ちしている。嫌な予感がした。
「ツブリ役は、鈴木くんになります」
クラスメートたちがどよめく。さっき目が合った、横にいる彼こそが鈴木くんだった。彼にとっても予想外だったようで、居心地悪そうにもじもじしていた。
私は悔しさと、悲しさと、いったいなぜ?という気持ちでいっぱいになって混乱していた。しかし、私がツブリ役を落とされた理由はすぐにわかる。1組の先生が言った。
「マキさん、潮路のオーディションをやり直すんだけど、そっちに出てみない?」
その言葉で、私は全てを悟ったのだ。
先生たちはきっと、自分たちの思惑をこんな子供が見抜くはずもないと踏んだのだろう。でも、もう11歳だ。なぜ自分がツブリ役を落とされ潮路役を勧められたのか、私は即座に理解できた。
男の子は男の子役、女の子は女の子役というラベリング
潮路は、メスネズミの役だ。そして先生は、先ほどのオーディションの結果を保留にしていた。ツブリは、原作ではオスの設定だった。男の子でもできる役だ。女の私は、ツブリ役ではなく潮路役にしてしまった方が、おさまりがいい。
言われるがままにオーディションを受け、私は潮路役に決まった。
衣裳として、ネズミ色のスカートを指定された。衣裳案も、先生が決めたものだ。私は当時ボーイッシュな服装が好きで、スカートは大嫌いだった。意見したが却下されたので、仕方なくスカートを履いた。
男の子には男の子の役を、女の子には女の子の役を演じさせたい。女の役にはスカートを、男の役にはズボンを履かせたい。
そんな意図を私は子供ながらにちゃんとくみ取ってしまった。私の中の性差別の初体験談かもしれない。
身体の性別によるラベリングや決めつけに対して、声の上げられることが増えた昨今だけど、あの時も今のようなムーブメントがあったらよかったなと、思い出しながら考える。
そんな私は、今、演劇に携わる仕事をして暮らしている。演劇の好きなところのひとつが「自由なところ」だ。
映像作品等では違和感を覚えるような表現も自由に成立する。女が男を演じてもいいし、その逆もしかり。大人が子どもになっても、子どもが大人を演じることもできる。
あの時の私に、今の私の記憶や感情をもって戻れるなら、そのことを先生たちに伝えたい……が、そんなことは不可能だ。
先生の価値観がアップデートされていることを、願うばかりである。