ドキドキしながら本体を触る。ずっしりした重さ、革と金属のザラザラとツルツル。
使い方は分からないけれど、「この子だ!」と思ってポチってしまったフィルムカメラ。休日になったらこの子を持って散歩に行こう、そう思いながらベッドに入った。

まずはカメラ屋さんに向かう。足取りは軽かった。
「おじさん、これ現像お願いします」
休日を待てずに肌身離さず持ち歩いていたら、いつのまにかフィルム一本分撮りきっていたのだ。どんな写真が撮れたんだろう、と思いながらフィルムを渡す。
「6時には仕上がりますからね」

いつも閉まってる、ビルの2階に入っているコーヒーショップ。お昼ご飯食べられるかな、と期待しながら階段を上がった。お客さんの影が見えて、少しだけ気後れする。
また今度にする?でもここまで来ちゃったし。カバンの上からカメラをそっと撫でて、ドアノブを回した。

被写体第一号はコーヒーショップのおばさん。何でもできる気分になった

「そうなのー!」
「いいわねえ」
店員のおばさんと、お客さんらしきおばあちゃんが話している。私が入ると「いらっしゃいませ~!」と声がかかった。入ってすぐにショーケースの中にコーヒー豆、その前にドリップ用の紙や一杯分の粉。その向かいにはコーヒーを淹れるための道具が揃っている。物色していると、私に声がかかった。
「コーヒーはよく飲むの?」
「飲むんですけど、淹れたことはなくて。豆は挽いてみたいなってずっと思ってて。」
「あら、いいじゃない。」
おばさんとおばあちゃんが交互に、このカップが良くてとか、この秤がすごくてとか教えてくれた。おばあちゃんは山登りの時に持って行ってコーヒーを淹れるそうだ。
しばらくしておばあちゃんがお会計をして帰っていく。常連さんらしく、おばさんにお菓子を渡していた。
「お嬢さんにも、どうぞ」
「いいんですか!」
おばさんと顔を見合わせて笑った。

その後コーヒーについて一通り説明を受けて、お互いの身の上話になった。
おばさんはとても明るくて気さくで、最近は自粛にもなって気が滅入ったから今日は昨日初めて買ったユーミンのCDをかけてるの、と言った。私はカメラの話をした。
「そうだ、よかったら撮らせてもらえませんか。」
「ええ~?悪いわよ」
「いえ、ぜひ!」
壁にかけてあったラグの前でピースして笑うおばさんが、私の被写体第一号。おばさんは私のことも撮ってくれた。私は現像したら持ってきます、と言ってドリップパックをひとつ買ってお店を後にした。なんだか、何でもできるような気分になっていた。

お店の人と交わす会話を通して自分の好きなものに思いを馳せる

その後、近くの服屋さんに入った。後ろにフリルが付いたサロペットがとても可愛かったけれど、試着したら似合わなくてガックリしながら試着室を出る。
「好きなお店はね、通わないと無くなっちゃうからね。本当に好きなら、好きだって行動しないとね」
2週間後には店を閉めるのだという店主のおじさんは寂しそうに笑った。
私の好きな店はどこだろうか。私が好きなものはなんだろうか。迷子になりそうだと思った。

本格的にお腹が空いたので、目についた喫茶店に入った。メニューを見たらフード系は2時まで。仕方なく抹茶オレを頼む。おじちゃんがとても気さくだったので思い切って聞いてみた。
「お腹空いてるんですけど、ご飯系っていけます?」
「仕方ないなあ、そばめしならいけるよ」
「お願いします…!」
元々船乗りだったおじちゃんの武勇伝を聞いて、そばめしを食べた。おじちゃんは付近の地図を作っているという。作った地図を見せてもらっていると気づけば6時半。
「あの、良かったら写真撮らせてもらえませんか?」
「あぁ、店?いいよ」
「いえ、船長さんの」
船長時代の帽子を被ってくれたおじちゃんにシャッターを切る。おじちゃんが作った地図をカバンに入れるとそこはもうパンパンだった。
私が好きなもので地図が作れるくらいに、好きなものを見つけられたらいい。

まだ余白ばかりの私の地図も、この一枚一枚で立派な地図になる

滑り込みでカメラ屋さんに戻ってきた。
「すみません、遅くなりました」
「出来てますよ」
封筒に入った、初めてのフィルムデータ。初めてみました、と言えば下から照らしてフィルムを透かせてくれた。
「こんなふうに、反転してるんですよ」
「すごい!撮るのも、本当に楽しいんです」
「ありがとうございます。若い方からしたら新鮮ですよね」
データが小さく印刷されたインデックスプリントに目を凝らしながら帰路につく。部屋の近くでまた一枚シャッターを切った。

私の地図はまだ余白ばかりだけれど、だからどこにでもいける。この一枚一枚が重なっていけば立派な地図になる。迷子にならない日がきっと来る。

現像されたデータは夜の写真ばかりだった。仕事終わりにしか触れなかったからだろう。
また明るい写真も増えていくはずだ。今日撮った写真はどんな風に写っているだろうか。
ベッドに入ってもまだ、初めて会ったたくさんの人たちの声が聞こえる気がした。
いつもと違うけど、こんな日もいいな。
また会いに行こう。カメラを持って。