8年前、九州の片田舎から大学入学で上京した。入学して間もない頃、一人たりとも友人はいなかった。
どうやら最近の大学生は、入学前からSNSで仲良くなるらしい。わたしは田舎者なので、その波にも乗れなかった。みんな初めて会うはずなのに、孤独を回避すべく薄っぺらい笑顔でなんとかコミュニティを作ろうとしていた。

わたしの目には、彼女たちが不気味に映った。何も知らないはずなのに、あたかも昔から知り合いだったかのように表面的に喋っている。
気持ち悪い。怖い。あんな希薄な関係にすがってまで、誰かと一緒にいたくない。

一人でいることに平気なふりをして、孤独に耐えていたけど…

だからわたしは一人で授業を受けていた。勇気がなく、サークルにも入れなかった。狭い大都会にこんなに人間は溢れているのに、知り合いはいない。
東京という生気に漲る街に飲み込まれそうになっていたわたしにできることは、孤独に耐え、一人でいても平気なふりをすることだけだった。

桜がキャンパスをピンク色に染めて、入学したての希望に満ち溢れた女子大の学生たちのオーラはまさにピンク色だった。そのピンクの渦の中に独りでいた。
上京して初めて迎えた春の孤独は、年頃だったせいかやはり苦しいものがあった。
「ソロ活」とラベリングしてなんとか間に合わせていた。ラベリングしてプロジェクト化するだけで、なぜか安心するのだ。

だけど、本当は底なしにさみしかった。
なんとか、自分と同じようにソロ活してる人を見つけて安心しようとした。年頃の女子大生でソロ活をしている人はかなり少なかったが、やはり見つけると安心した。でも、そんな一時的な安堵は、充足感も何ももたらさなかった。
こんなに寂しい思いをするなら、実家に帰りたい。でも帰れない。
カントリーロードを聴いて、日々泣いた。

いつのまにかわたしは一人が好きになり、孤独な時間を求めるように

ゼミや第二言語の授業が始まり、数少ないながら友人ができた。それからというものの、心細さはなくなった。なんなら、一人でいることを苦に感じない人間の演技をしていたら、いつのまにか本当に一人でいることが好きになっていたのは不思議だ。

演劇で恋人役の主演の男女が役に感情移入しすぎたあまり、リアルな世界でも好きになってしまうのと少し似ている。「一人役」の自分が現実の自分にも埋め込まれ、わたしの一部になっていた。大人になった、の一言では片付けられないほど、自分は一人が好きになっていた。密のような孤独な時間を、自ら求めるようになった。
あの日、寂しさのあまり演技せざるを得なかった「一人役」のかりそめの自分が、本当の自分になってしまったのだ。

人間は柔軟でありながらも脆い。本当の自分を守ることの大切さ

人間というものは柔軟でありながらも脆い生き物なので、見せ方に簡単に食われる。でも、わたしは食われてよかったと思っている。

「一人役」の自分は、潜在的に存在する自分の欲望をあぶり出した。一人でどこにでも行けるようになったし、それが今は楽しいのだ。

でも、自分が大切にしている信念や想いまで、侵されることだけは避けたい。それがたとえ、地球の片隅に存在する小さな感情の機微だとしてもだ。

本当の自分を殺してまでかりそめの自分を守るのは、ただの無理心中である。
かりそめの自分から本当の自分を守り抜いて初めてわたしたちは、わたしをわたしたらしめられるのだと思う。