母からその女性気功師Aを紹介されたのは、私が大学の研究室のことなどで悩んでいた頃だった。

精神を患っていた母は、相当のスピリチュアル依存体質で、他にも定期的に鑑定に行っている霊媒師Bがいた。

母の影響もあり、幼い頃から「目に見えない不思議な力」を信じていた

私も母に連れて行かれるがまま、Bの元に幼い頃から通っていたが、この気功師Aは一味違っていた。誰かの写真を手に取っただけで、その人の考えや状態がわかってしまう。その他にも、常人離れした特技をいくつか持っているらしい。

半信半疑ながらも、気付けば何らかの相談があるとAの元に通うようになっていた。施術料は決して安くなかったが、Aの気功で“パワー”を体内に注入されるたびに、少しでも人生が良い方向へ行くような気がした。

母の影響もあってか、私は幼い頃から“目に見えない不思議な力”は、存在すると本気で信じていた。自己肯定感が低く、常に何らかの悩みを抱えていた。そんな自らの無力感に対する答えを、スピリチュアルの世界に求めることが習慣となっていた。

やがて就活生になると、より切実な相談をAに持ちかけるようになった。というのも、就職を機に私は毒親である母と縁を切ることを目論んでいたこともあり、何が何でも母に知られずに就活を成功させたいと考えていたのだ。

Aに「パワーを注入したから受かる」と面接前に断言されが、落ちた

当時、別居していた母には私の就活の状況を教えていなかったし、教える気も全くなかった。それでも、Aには私の志望業界、希望勤務地など洗いざらい打ち明けた。顧客の個人情報は、たとえ親子間でも守られて当然と思っていたし、彼女の「お母さんには言わないからね」の言葉を信じたからだ。

でも、Aはそんな私をしれっと裏切った。皮肉にも、Aから母に全部垂れ込まれていたことを知ったのは、母から「我々がAの元にも通っていることは秘密よ」と私が命じられていたはずの、当のBと話しているときだった。

ちょうどその頃「私がパワーを注入したから、あなた、ここ受かっちゃうよ」と面接の前に断言された第一志望の会社を落ちたこともあり、私はそれまでの人生で1、2を争うくらい絶望のどん底にいた。私がAを問いただすメッセージを送っても、Aはしらばっくれるだけでなく、「どうしてこの会社落ちたか、教えてあげようか」と上から目線で開き直っていた。

Aを信じた私が馬鹿だった。布団の中で、声を出して泣きじゃくった。Aに対しては腸が煮えくり返る思いだったが、それ以上に自分が許せなかった。

確かにAは私を裏切ったが、そのときまで自分を騙し、軽んじながら生きてきたという意味では、私自身も私を裏切り続けていたのだ。後悔してもしきれない思いの中、私はやっと気付いた。いくら気にかけてくれているように見える相手でも、自分の人生の舵を他人に握らせることが、いかに危険で、いかに馬鹿らしいことかを。

他人の言葉を鵜呑みにして振り回され、人生の決断をすることは…危険

世の中の全ての霊媒師やスピリチュアル気功師が嘘つきだとは言わない。でも、真偽が定かでない他人の言葉を鵜呑みにして、自分の人生の重要な決断がそれに振り回され続ける限り、決して幸せにはなれないことを私は悟った。

それまで見て見ぬ振りしていた、スピリチュアルへのあらゆる疑念の点と点が線になっていくのを認めざるを得なかった。10代前半から小遣いで買い集めていたパワーストーンは、私の願いを叶えてくれることはなかった。Bによる私に関する数々の予言も、見事なまでに当たったことがなかった。もうこれで目が覚めないわけがなかった。

あの裏切り以降、私はスピリチュアルとは距離を置いた日々を過ごしている。悩み漬けの毎日になるかと思いきや、むしろ以前より生きることが楽になった気がする。

私の抱える問題を解決できるのは、私しかいない。でも、それを理解した今だからこそ、自分にはそれらの問題を解決する能力が備わっていると信じることができるし、悩む時間すらもったいないと思える。

もう私は、目に見えない力に運命を託すなんてことはしない。あの日、Aが裏切ってくれたおかげで、私は変わった。