私の心には古傷がある。今はもう血が出ることも、痛むこともない。でもふとした瞬間に居心地悪くそこがうずいたり、ふと当時を思い出しては苦い思い出に駆られる。
彼女に裏切られ、彼女を裏切らせてしまった記憶という名の古傷だ。
あれは高校1年生の時のことだ。

重すぎる感情を向けられていた彼女が、私に嫌気が差すのは当然だった

私は中高一貫校に通っており、彼女とは中学からの付き合い。彼女のことは友達で、親友で、そして私の行き過ぎた友情の相手でもあった。女の子の友情は時にして恋情の色を持つという話を聞いたことがある。それは全くもって間違いではない。彼女に持っていたのは、好意。そして明らかな独占欲だった。
誰かと仲良くしているだけで苛立ちが募る。私を優先してくれないと相手に詰め寄ってしまう。その執着は嫉妬と言っても差支えなく、もしも感情が見えるのであればごうごうと炎が燃えていたことだろう。

そんな重すぎる感情を向けられていた彼女が、私に嫌気が差すのは当然だった。でも当時の私はそんなことに気づくわけもない。中高生の感情なんてそんなものだ。
自分が一番で、いつだって主人公は自分。その時点での彼女は私にとって、自分勝手な「友人」という持ち物であった。だからこそ彼女が私から離れた時、それは明確な裏切りに他ならなかったのだ。
戻して。返して!と、声の限り叫びたくなった。
私の物だったはずなのに、彼女本人が私から彼女奪っていく。あの子は私の物だったはずだ。それをあの子自身が奪っていくなんて。

諦めるための、「確かな証拠」という決定的な理由が欲しかった

分かっている。友達は契約でもなければ、保証書なんてない。でもどれだけ数学の試験で80点台をキープしていても、国語の読解問題が勉強をせずに解けても、理解できないこともある。いや、もしかして理解はしていたのかもしれない。ただ受け入れることができなかっただけで。

夏休みまでは普通だった。なのに始業式の日に「おはよ!」といつも通りに挨拶をしたら無視をされた。意味が分からなかった。だってこれまではずっと一緒にいた。私の「友達」という存在だった。
そこからの私は酷い有様だったと思う。裏切られたことを認められなかった私は、毎日あの子につきまとい、話しかけ続けた。随分とはた迷惑なその行動に今更の言い訳をするなら、確かな証拠が欲しかったのだと思う。
認められない。だから諦めるための、決定的な理由が欲しい。それさえあれば、最後通告さえもらえば自分が納得できる、と。
でもそれを相手に求めることは、残酷極まりない行為だったと今なら分かる。

彼女は私から離れた。裏切りの古傷だけを残して消えた

確かな証拠。それは彼女にとって、私を傷つけ裏切ったことの証明でもあるのだ。彼女が加害者であると認めさせるための、私が被害者であると証明するための免罪符を発行することを彼女が望む訳もなかった。
彼女との縁はそこから、次第に途絶えていった。私の世界を形作る彼女は段々と離れてこぼれ落ちた。彼女と昼ご飯を食べなくなった。彼女と下校できなくなった。そうして私の世界はそこで終わった――訳がない。

彼女と別れて私は気づいた。結局のところ私にとっての彼女は必要不可欠な相手だと思っていたのに、彼女がいなくても私は終わらなかった。彼女と昼ご飯を食べられなくても腹は空いた。彼女と下校できなくても、部活のみんなと帰ることにした。彼女は私の世界の一部で全てではなく、かつ欠けてもなんとかなる存在だった。

でも彼女がいなくなって気づいたこともある。
彼女は一部でしかなく、全てではなかった。でも一部の彼女が離れたことで、傷は負った。身を切るような、大切な人の別離という深手だった。でも傷だって、時間をかけて治る。そうして彼女は裏切りの古傷だけを残して消えた。
裏切りの古傷。だからこれは私の友情と執着と、幼さの証だ。