「あの夏の挑戦」と聞いて、最初に思い出す「夏」は私が十五歳を迎える直前の出来事だ。
 私の人生の中で一番暑くて、熱くて、そして何よりも青く染まっていた。

八月初旬の夏の日。陸上部の遠征中の私は、私は走り続けていた

てっぺんが焦げそうだ、と思った。てっぺんというのは私のまんまるな頭の中心で、現行犯は小憎らしいお天道様である。

埼玉県熊谷市、全国でも指折りの高気温を誇る地で、私は走り続けていた。なぜか。理由は至って単純。私が陸上部員で、なおかつ幹部陣の思いつきにより日帰りの遠征が敢行されたためだ。

八月初旬。数日連続でぴーかん晴れ。タータンのトラック(全天候型のトラック)はこぼした水が一瞬で蒸発するほどに干からびていた。

参加した部員全員が、日陰でおしくらまんじゅうしながら「ここで練習ですか」と目線で囁き合っていたことを覚えている。言い出しっぺの高等部キャプテンでさえ日差しの獰猛さにはたじろいだ様子を見せており、唯一元気だったのは自他ともに認めるマゾ、中等部キャプテンのみという有様だった。

午前のメニューはブロック別で、中長距離女子は四〇〇〇メートルのビルドアップ。最初の一キロは四分二〇秒で入り、次の一キロは四分十秒、続いて四分と、少しずつペースを上げて心肺を鍛えるのだ。

ぐるりと楕円を一周し、ランウォッチで周回タイムを確認する。視界のはしっこでは私の影が地面と重なりチラチラ赤黒く。足元から燃やされているみたいだ。

ホームでスターティングブロックの練習を終えたばかりの短距離勢が「ファイトですー」と間延びした声を出した。レストを兼ねて一旦施設内に移動するらしい。もはや避難だ。

汗が唇を濡らし、真っ青なトラックがまぶたに映し出された

後から後から汗が吹き出し、ランシャツの襟を掴んで首筋の汗を拭っても、数十秒後にはヘソまで水滴が伝っていた。

午後には短距離、中長距離の合同で練習をするらしい。午前で体力を使い切るわけにはいかないのに、濡れて肌にペタリと張り付く布地が鬱陶しくて仕方がなかった。

隣を走る先輩が「せめて、青だったら良かったね」と地面を示す。先程の私と同じく、ラップタイムの確認時、網膜に飛び込んできた突き刺すようなオレンジへ、眩暈を感じたらしい。私は頷きながら顎下に滴った汗を手の甲で拭った。

陸上のトラックは緋色と青色に分別できる。しかし、当時青のトラックというはめずらしく、高校の都大会で使われる駒沢オリンピック公園が私の知る唯一の場所だった。

青に足を乗せるのは気持ちがいい。特に開けた競技場では空がそのまま地面に溶け込んだようにさえ見えて、その場にいるだけでも海上を駆け抜けるに等しい涼やかさを感じたものだ。

残り一二〇〇メートル、四〇〇メートルトラック三周分。日焼け止めの混じった汗が唇を濡らし、舌先がピリピリ塩辛い。瞬きのたび、真っ青なトラックがまぶたに映し出され、荒い呼吸が、心臓が酸素を求めている。

また夏が来る。今年こそ、十年前のあの夏の青に出会えるだろうか

こんなにも違うのに、その瞬間私は確かに海の中にいた。

十年経った今でもふと、あの夏がさらさらと流れてくる時間がある。それだけあの暑さが鮮烈だったんだろう。そして私は、どこかおかしい気持ちを抱えて、目の裏にあったあの色を再現しようと試みるのだ。

けれど、決まって上手くいかない。私が見た青はもっと透き通って、もっと綺麗で、もっと青かった。記憶の美化、というやつかもしれない。

また夏が来る。今年こそ出会えるだろうか。あの夏の青を見つける挑戦をしてみようと思う。