我ながら、寄り道のしない人生だった、と思う。
とにかく最短距離で、使い古された言葉だけれど“レールの上”を真っ直ぐ歩く人生が最善だと思っていた。進学、就職というイベントも浪人や留年する事なく、相応の年次に次のステップへ進んでいた。

両親の安心や納得がいくような選択ができる子どもだった

それは、家庭内の常識という名の暗黙のルールを守り続けてきたからかもしれない。
しかし両親は決して、我が子に価値観を押し付けるような人ではなかった。私は学校にまともに行くだけで万々歳、というような、よく言うと繊細な性格だったから。多くは望まず、躓かないで普通の生活をしてくれればいいと思ってくれていた。おそらく。
私は偶々、両親の安心納得のいくような選択ができる子どもだった。自ら公文に行きたい、中学受験をしたいと言った。わたしは「周りに負けたくないし、頭の良い人たちに混ざってみたい」という気持ちで、両親の「幸せな人生を送ってほしい」という気持ちとは少しズレていたが、選ぶ選択肢は一致した。

大手企業に就職してから、立派な志があるわけではない私は後悔した

それが初めて一致しなくなったのは、社会に出てからだった。
就職活動はそこまで苦ではなかった。もう二度と会わない面接官に本当の私を知ってもらう必要など無い。一瞬しか維持できないハリボテの自分でもそれで受かるなら良いだろう、と考えていた。日本の就職活動なんて、思考停止した不誠実な人間の方が有利なのかもしれない。
晴れて大手企業に就職した。
しかし実際に働き始めてから、私は自分自身を後悔した。仕事ができない上に、そもそも向いてるとも思ってない仕事、立派な志があるわけでもない。優秀な先輩や同期を見て、かつての「周りに負けたくないし、頭の良い人たちに混ざってみたい」というマインドは完全に消え去った。
そもそも、社会や育った家庭における「最善」を目指すという見えないルールの中生きていた私は、自分の幸せというものがわからない。思考停止した人間の末路だ。

「辛いなら仕事は辞めてもいい」と言う彼が見守ってくれる

そんな私の対極のような価値観で、ずっと見守ってくれていたのが今付き合っている彼だ。 
彼は、大学卒業後に数年実家で引きこもり、その後単身上京し、好きな音楽を扱う憧れの会社にアルバイトとして入社してから社員になった。正直福利厚生も給与水準も私の会社と比べ物にならないほど低い。でも、確かに自分の幸せを知っていて、未来ではなく今の自分を大切にする。
「地位もお金も、自分の幸せに必要な分だけあればいいんだよ。辛いなら仕事は辞めてもいい」

ルールを破って救われることも、守って担保されるものもある

今、私はこれまで無意識に守ってきたルールをもう守れないかもしれない、と思っている。それは、父が悲しんだり、心配する選択をするかもしれないということだ。高校生の時、母が亡くなってから、父はずっと私のことを心配してきた。
ルールは、煩わしいことがある。破るという選択肢を夢見て、また実際に破り救われることは沢山ある。でも、ルールを守るということで、担保されるものもあるのだ。私は、これまでのルールを守ってきた私に感謝もしている。今の生活環境は、ルールを守らないと手にし得なかったものかもしれない。
吉本ばななさんの「デッドエンドの思い出」という小説で、婚約破棄された主人公が、自分以上に憤る両親を見てこう想う。
“ネットがたくさんあるほど、下に落ちなくてすむし、うまくすれば下があることなんて気づかないで一生を終えることだってできる。全ての親が子どもに望むことって「できれば底の深さに気づかないでほしい」そういうことじゃないだろうか”

父も彼も、私の幸せを祈ってくれているのは同じだ。2人の想いは、同じように温かい。
私は今、ルールを守ってきた私の、得たものと失ったものをひとつひとつ並べ、これからを考えている。「あのルールを破れたら」その先には幸せも、責任も、両方あるのだと思う。