あのルールを破れたら、そんなことは毎日のように思っている。

私は真面目な性格で、ルールは守っている方だと思う。むしろルールを守ることに意固地になっている節もあると思うほどだ。

しかし、ルールを守る私の近くには、平気でルールを破る人たちがいる。そんな人を見てはあっち側にはいかない!という変に気張った精神で、ルールを守り続けている。ルールを破ったほうが楽だということは分かっているのに。
その例を紹介しようと思う。

真面目な私が守って、守っていない人が多い自転車のルール

私の家の周りは坂が多い。だから、電動自転車を使っている人も多い。私もその一人だ。自転車は早く楽に移動できる代わりに、いろいろとルールがある。

例えば、「商店街の中では自転車から降りて、押して進まなければならない」というルールがある。自転車と人がぶつかってしまったら、相手の方が怪我をしてしまうからだ。このルールは相手と自分を守ることにつながる大切なルールだ。だから私は不便に思いながらも、アーケードの中に入ったら自転車から降りる。

しかし、人をクネクネと避けながら自転車に乗りっぱなしの人もいる。幸い、事故現場に遭遇したことはないが、危ないなぁと見るたびに思う。

例えば、「決められた駐輪場以外に自転車を停めてはいけない」というルールがある。
近所で安いと評判の八百屋さんには駐輪場がない。代わりに目の前には、小さな歯医者さんがある。正直、そこに停められたら楽である。でも私は面倒だと思いながらも、その八百屋さんに行くときは歩いていくようにしている。

しかし、その歯医者さんの前に止める人は大勢いる。夕方に行くと、歯医者さんへの入り口は人がすれ違えないほどの狭さしか空いていないこともあった。

例えば、「駅前の駐輪場を利用する際には100円を支払う」というルールがある。
自動支払い機があるわけではなく、毎回事務所に言って100円を払って、ハンドルに括り付けられる証明証をもらわなくてはいけない。だから、私は時間に余裕をもって駅に向かって、100円を払っている。

しかし、私の自転車の両隣の自転車が証明書を括り付けていないことなんて日常茶飯事である。私とこの人たちとでは、いくら出費に差が出ているのだろうか。

ルールを破る人たちは、時間とお金を賢く使っているのかもしれない

正直、自分でも真面目すぎるのではないかと思うことはある。ここで挙げたルールはいずれも、商店街や駅前の駐輪場など狭い範囲で決められたルールで、破ったところで大きな罰があるわけではない。そういう意味では、このルールを破っている人たちは、時間やお金を賢く使っているという見方も出来る。

でも、ルールを守ることに真面目「すぎる」こともないだろうと言う自分もいるのだ。

私がルールを守っているおかげで、怪我などをしなくて済んでいる人がいるかもしれないのだ。
それに、私は自分が守っているルールを破っている人を見ると、まるで徳を積んだような気分になることがある。

「神様は見ていたんだ!」ルールを守ることは、自分のお守り代わり

自分がルールを守ったことで感謝している人がいるかもしれない。そんなことを思う。
そして、何か神頼みがしたくなったときに「あれだけルールを守ってきたので、お願いします!」と心の中で叫ぶ。自分に何か幸運が訪れたときは「ルールを守ってきたことを、神様は見ていたんだ!」と喜ぶ。

ルールを守ることは、自分のお守りの代わりなのだ。

もしもルールを破れたら、私はもっと自由で楽に生きていけるのだろう。
でもルールを守ることで自分らしさも守っている私には、ルールを破りたいと思う日がどれだけ来ても、実際にルールを破る日は遠いのだろう。