確かに私はのろまだし、それが原因で小さい頃はいじめられたこともあった。
だからきっと気づかないとでも思っていたのだろうか。そんなの大間違いだし、嫌われていたことなんて普通に分かっていた。それでも私は自転車を漕いでいた。

人見知りで内気な野球部のマネージャー。気まずさは想像以上だった

高校生として迎えた最初の春、私はマネージャーとして野球部に入部した。
青春のど真ん中に飛び込んだ私は、とても日差しなんて似合わないような『陰キャラ』だった。そんな私を突き動かしたのはただ『憧れ』ひとつだった。

高校球児が、高校野球が憧れだった。中学三年生のときに見た、テレビの向こう側でひたすらに白球を追いかけ、がむしゃらに走り、勝利へ目いっぱい手を伸ばす球児たちの姿を私は忘れることができなかったのだ。

元来人見知りで内気な私が、何のあてもなく単身で男子ばかりの部活に飛び込むのはかなりハードルが高かった。きっと部に馴染むまで相当な気まずさを抱えて部活に臨むことになる。それも承知の上で入部した。

つもりだった。けれどこの『気まずさ』は想像以上だった。

そもそも、私は同級生の部員から嫌われていた。
直接「嫌いだ」と言われたことはない。けれど確実に嫌われていた。ただの思い込みだと思われるかもしれないが、悪意というものは上手く隠したつもりであっても本人には筒抜けだったりするのだ。

心当たりならあった。人見知りでうまくコミュニケーションも取れないし、顔だって可愛くないし猫背だし、それだけで第一印象は良くないことは明白なのだ。
「人間顔じゃない」なんて言うけれど、第一印象を決めるものはどうしたって見た目以外にはないし、その判断基準は男も女も大抵一緒だ。

どれだけ取り繕ったって『陰』の気は隠すことはできず、それだけで疎まれる理由には十分であることは、長く学生生活を続けていれば嫌でも分かった。
同級生の女子マネージャーが誰一人居なかったことも気まずさに拍車をかけた。先輩の女子マネージャーは皆親切でいい先輩だったけれど、年齢の差が生む壁ばかりはどうしようもなく、入部したての頃の私は居場所も見つけられず浮いている存在だった。

私には野球部が向いていない。それだけで夢を手放すのは嫌だった

『マネージャー』といえば聞こえはいいが要は雑用係だ。頑張ったって賞状やメダルが貰えるわけでもない。球拾いや後片付けのために最終下校時間まで残り、休日も部活のために自転車を漕ぎ、砂で髪をガチガチにして家に帰る日々は正直かなりしんどかった。

でも辞めなかった。「辞めよう」とすら思わなかったのだ。
それ以上にあの時の私は野球部のマネージャーでいられることに喜びを感じていたし、夢を叶えられていた気がしていたからだ。今思うと何かしらの感覚が麻痺していたようにしか思えない。

その日もまた、学校へ通うために自転車を漕いでいた。入部して三ヶ月ほどが過ぎていた。
ぼんやり自転車に乗っていた私の頭にふと『退部』の二文字が浮かんできた。
私が部員に疎まれていることも、唯一私に歩み寄り握手までしてくれた部員が仲間内で滅茶苦茶にいじられていることも、私があの部活に居ても居なくてもいい存在だったことも全部知っていた。

「辞めたい」のではなく、そうすることが自然なのだと思った。私に『野球部』は向いていなかったのだ。ただそれだけのことだった。
ただそれだけのことを、私は受け入れなかった。

癪だったからだ。「不向き」「場違い」なんて理由で夢を手放すのがなんか癪だった。ただ部員に嫌われたくらいで『野球部マネージャー』という夢を手放すのも、周りで部活を辞めた子がいない中で、辞めたくもないのに私が一番最初に部活を辞めるのも、全てが「なんか癪」だった。すごく曖昧な感情だったけれど、私が部活を辞めないための理由はこれで十分だった。

自転車でコンビニの前を通り過ぎようとした頃に浮かんだ『退部』の二文字を向かい風で吹き飛ばした頃には、私はもうずいぶん先へ進んでいた。雲ひとつない空の下で、半ばやけくそになって漕ぎ出したペダルを止めやしないと誓った。

唯一無二の青春の3年間。夢を手放さなかったのは、間違いじゃない

高校三年間、私は野球部のマネージャーでいることをやめなかった。
あの日やけくそになって野球部を続けようと決めた私を待っていたのは夏休みだった。より多くの時間を野球部として過ごすことによって、少しずつだったけれど、私は部に馴染むことに成功したのだ。

夏が過ぎた頃にできあがった居場所は、狭くていつも埃っぽい部室のがたついた椅子だったけれど、いつしか離れがたい場所になっていた。
あの日私はどうやら、坂のてっぺんまで登っていたようだ。そこが峠だった。そこから先はどこまでもゆるやかに続く下り坂で、もうペダルを漕がなくても、心地よい風に乗って私は前に進むことができたのだ。

思えば、何かを「諦めたくない」と思ったことも、その思いに従って何かを「諦めない」決断をしたのもこれが初めてだった。今までどれだけぼんやり生きていたのだろうか。
私が『野球部マネージャー』として過ごしたのは人生の二十数分の三、ほんの少しの間だけのことだ。

それはあってもなくても良かった時間だったのかもしれない。けれど私はあの日の選択を間違いだとは決して思わない。
あの三年間は私にとって唯一無二の青春で、放たれる儚いきらめきはどうしようもなく切なくて愛おしい。

そんな思い出は、本当は幻だったのかもしれない。実際、私は部員から嫌われていた。いくら軽口を叩けるような仲になったとして、その事実も感じた憂鬱も消えないのに、それでも彼らを嫌いになれないことは間違ったことなのかもしれない。

それでも。あの日、ペダルを漕ぎ続けようと決めたことは。やけくそになって部活を続けたことは。夢を手放しはしないのだと誓ったことは、やっぱり間違いだとは思えないのだ。
だってその三年間がなければ、私はこうして今、パソコンの前で泣きながらエッセイを打ち込むことはなかったのだから。