「任せるよ-」
この一言、他人を尊重しているようで、自分で決める責任を放棄しているだけだ。
それに、任せると言っておきながら後で文句を言う人のタチの悪さといったら。

1人で海外は無理と言っていた友達は、私が一緒だから行くことにした

大学生の時、高校時代にとても仲のよかった友達と一緒に海外旅行をした。
私が留学していた国ということもあり、私は多少ではあるがその国の土地勘があり、主要な観光スポットも知っていた。

1人で海外に行くのは絶対無理だと言っていた友達は、私が一緒だから行くことにしたという。私自身も楽しみにしていた。

3泊4日の旅で、ほとんどノープランで出発。どうしても行きたいところだけを絞り、あとは成り行き任せといった感じだ。

現地に着いて興奮していた友達。旅行をしていて気づくのが、意外と選択をしなければならない場面って多いものだ。目的地までどの交通手段で行くか、どこでご飯を食べるか、どの順番で行きたいところをまわるか…。そして、ツアーでなければ3泊4日って意外と長い。

悪気はなかったと思う。「私に任せておけば大丈夫」だった

友達は行きたいところ以外の選択のほとんどすべてを私に任せた。私に土地勘があり現地語も少しわかるというのは明白だし、そして何より、いわゆる優等生であった私の性格をよく知っている。私に任せておけば大丈夫といった感じだった。悪気はなかったのだと思う。

それが私にとっては負担だった。どちらかというと私の方は知らない国ではないのだから、初めて来た友達にあれが見たいこれが食べたいと言ってほしかった。

それを伝えられなかった私にも非があるのは重々承知で、私が持ち合わせている知識の中から選択肢を出しても最後は「任せるよ-」だった。

結局私が決めていたが当然それも完璧ではない。私はツアーコンダクターでも現地ガイドでもないのだ。不都合な状況、例えば移動してからご飯を食べようということにしたはいいものの、着いてみると意外にも何もなかったというようなことは何度か起きた。

それも含めて旅の醍醐味だと思えればいいのだが、友達の口から出た「失敗したな~」の一言で一気にその友達に対する好感度が下がった。彼女が自ら選択した結果同じことが起きてもそう言ったのかもしれないが、それにしても私に対する最低限の礼儀としてそれはないでしょ?と思ってしまったのだった。

自分に決定権があればきちんと決めたい。本人には言えないけれど

旅の後半はそんなモヤモヤを抱え続け、そうなると友達の言動のひとつひとつが余計嫌に思えてきて、挙句帰国してからインスタに「帰国した!世界変わったなぁ~」などと投稿しているのを見てしまった暁には彼女のアカウントをミュートした。

その時の感情を書き出すとただの悪口の羅列になってしまうので控えるけれど、この一件を通じて自分自身も人任せにするのはやめようと思った。

人に助けてもらわずに生きることはできないけれど、自分の人生は自分で決めたい。民主主義の世の中だからもちろん全てが自分の思い通りにはならないけれど、だからこそ自分に決定権があるときはきちんと決めたい。そして結果としてよくないことが起きたとしても、責任はその道を選んだ自分にあるって受け止めたい。

その時感じたことは今でも本人に言えない。旅行から1年経って、自分の中で気持ちの整理がついたと思ったときに近況を知りたくて1回だけ会った。それでも彼女のアカウントは見ないままだ。