これまでの人生で自分にとって大切な夏を1つあげろと言われたら、いつだろう。
瑞々しい感性の中学生たちに全力でぶつかっていった教育実習の夏?
かつてない不安に襲われた就活中の夏?
初めて大きな仕事を任され死にそうになった、記憶に新しい社会人3年目の夏?
それとも小さな頃、プールで25m泳ぐのに必死だった夏?

挑戦というより「冒険」だった16歳の夏。予備校の合宿に参加した

私は16歳の夏をあげる。「挑戦」というより、それは「冒険」という感覚だった。
初めて一人で旅した高2の夏。旅と言ってもオシャレなものではなく、ある予備校が主催した箱根での夏合宿だ。ただ、この合宿のメインは勉強ではない。初対面の高校生が全国から集まり、現役の大学生たちと約1週間、寝食を共にするのだ。

当時、通学の電車が1時間に1本しかない、田舎の高校に通っていた私は、自分の世界が狭くて狭くて仕方ないと常に感じていた。
両親は専門職として自営業をしていて、小さい頃から周囲に「家を継ぐの?」なんて言われることも多かった。家庭環境は恵まれ、両親も抑圧的ではなかったが、少し「箱入り娘」的なところもあり、どことなく「自分は広い世界を知らない」という感覚を持って育った。

そして高校2年生。「とにかくこんな田舎に閉じこもっていてはいけない。東京の高校生はもっと豊かな文化に囲まれているはず」。今思えば、少し遅れた思春期の一種だったのかもしれない。
そんな私の“広い世界”への扉が、この箱根での合宿だった。話を聞いて絶対に行きたいと親に頼んだ。

初めて一人で乗った新幹線。ふだん乗らない「ひかり」で、いつもは通り過ぎる「小田原」で下車。バス停で同じように大きなスーツケースをもった女の子がいたのに、声をかけられず、結局、合宿所に着いてから同じ班だと分かった。

見ず知らずの彼女たちと、コンプレックスや進路について話し合った

私の班には、兵庫から来た私、福岡から来たその子、長野、静岡、東京……本当に全国から集まっていて、模試で全国の上位者に常に名前が載るような超優秀な子もいた。
見ず知らずの彼女たちと朝から夜までともに過ごし、自分のコンプレックスや進路について話し合った。

ある子は「将来はジェンダーの研究がしたいが、そんな自分なのに、研究と家庭を両立できるか自信がない」と泣き出した。「大学って何?」「就職って何?」という状態だった私は度肝を抜かれ、彼女が何歩も先をいっているように感じた。

私も自分なりに今の生活に感じている閉塞感や、だからこそ抱いている「外の世界に出て、違う環境に行きたい」という渇望感、そして「これから先も何か面白いことを学び、魅力的な人に出会えるはず」という将来への漠然とした期待を話すと、その子は「前向きで素敵だ」と言ってくれた。

チューターの大学生はキラキラ輝いて見えた。東京の話、大学の話、サークルの話、全てが新鮮で刺激的だった。
恋愛にはほとんど縁がなかった私だが、“憧れ”の存在にも出会った。

大学4年生のIさん。「宇宙のことを知りたい」という理由で東京の大学で物理学を学んでいるという。なんてロマンチックでピュアな探求心なんだろう。柔らかい笑顔の彼は、優しい話し方で、指がきれいで、私と同じでMr.Childrenが好きだった。

小さな世界から脱出できた青い夏。個性もポジティブに捉えられた

わずか1週間だけど長い1週間。行きに声をかけられなかった子と帰りは同じバスで帰った。新幹線では一人、皆で書き合った寄せ書きを見て、名残惜しくなりながらも、これから頑張ろうと思った。何を頑張るかなんて決まってなかったけれど。

短期間でも、お互いの内面を開示しあった仲。そんな友人が全国にいるというのが、それまでにはない不思議な感覚で興奮していた。
自宅に戻ると自分の部屋で、Mr.Childrenの「sign」を聞きながら、Iさんから貰った手紙を開いた。

手紙の交換は他の人たちもやっていて、特別なものではなかったのだけれど。それでも私はその時、なぜか涙があふれてきて、声を上げて泣き出してしまい、隣の部屋にいた姉は驚いて出てきた。

私にとってあの夏は、“小さな世界”からの脱出。大人びた同年代に気圧され田舎者コンプレックスを強くしながらも、同時に自分の環境や考え方も含め、個性をポジティブにもとらえられた、“青い”夏だった。

そして、あれが恋なのか分からないけど、音楽を聴いて泣き出してしまうくらいのフラジャイルな感性に出会った“ピンク”色の夏でもあった。大泣きしたIさんからの手紙の内容は全く覚えていないけれど、その手紙の色は“薄緑”だったことは覚えている。

あれから10年。私はその後、希望通り東京の大学に進学。家族からは心配されたが、文系に進み、今は映像関係の仕事に就いている。
あの夏が「挑戦」だったかというと、当時はそんな意識はなかった。

それでもあの夏が、それから毎年毎年訪れる小さな「挑戦」に向かわせてくれている。
今年の夏はどんな色になるだろう。元気な黄色か、落ち着きのある紫か。そろそろまた“ピンク”も見たいんだけど。