夏になると、無性に髪を切りたくなる。

その理由の大半は暑さに起因するものだけれど、夏の日差しに照らされた眩いヘアサロンを見かける度に、私は高校時代の夏を思い出す。
あの清潔感溢れる光の空間は、人を変える魔法がかかっているように思えるのだ。

もう10年以上も前のこと。
高校生になったばかりの私は、煌びやかに自分を飾り立てる周囲に憧れと焦燥感を抱いていた。
入学当時は化粧のけの字もなかった友人達がメイクを覚え、制服をアレンジし、どんどん綺麗になっていく。
雑誌で見たことのある「女子高生」が一人二人と出来上がっていく現実を目の当たりにし、ふと鏡に写る自分と対峙した時、友人と並ぶ自分に違和感を覚えた。

思えば中学までの私は、地味に慎ましく生きていくべきだ、という固定概念に支配されていた。
高校生活に新しい世界を夢見る部分はあるけれど、自分が高校デビューを果たそうなどという気は微塵もない。
私がそう思うこと自体が悪いことのように思えた。

しかし、このままでは女子高生ライフを楽しむどころか、醜いアヒルの子になりかねない。
いや、アヒルの子は実は白鳥だった、という美しいクライマックスが用意されているが、私にそんな美しいストーリーが用意されている保障もない。
お洒落に無関係な人生を送っていた私でも、さすがに当時の状況が危機であることは本能で感じ取っていた。

友人の劇的変化で変化を恐れていたはずの私が、気づけば電話を持って行動を起こしていた

「カットモデルをやってみませんか」
悶々とする日が続いたある日。
すれ違いざまに美容師さんに声をかけられ、一枚のチラシを手渡された。
そのヘアサロンでのカットモデルとは、一人前になる手前の準美容師さんがカットする代わりに、破格でカット・カラーを体験できるという類のものだ。

地元にある個人経営のお店でお洒落をした気になっていた私にとって、あのキラキラとした空間は恐くてたまらない場所だった。
ちょうど前髪が視界を邪魔するようになっていたものの、その場は丁重にお断りしつつ、私はなんとなくヘアサロンまでの道のりを頭に入れながら駅へと向かった。

あの空間へ行く勇気はない癖に、どうしてもチラシを捨てられない。
今となっては笑い話だけれど、思い込みとは怖いもので、あの空間に自分がいるだなんてありえないと、それが正しいと信じていた。
ドラマや雑誌の中に登場するような空間に立つには相応の資格が必要だと、自分に制限をかけていたのだ。

けれど、その悶々とした日々も、一番仲の良かった友人が髪の毛を茶色く染めて登校した日に終わりを告げた。
蓄積されたエネルギーが自分の中にある枷を突き抜けるのを感じ、衝動のままチラシを片手に美容室へ電話をかけ、気付けば髪を染める手はずを整えていた。

変わりたいと思えば、魔法はかけられる。人に寄り添う美しい美容師が教えてくれたこと

当日担当してくれたのは、エミリさんという赤いロングヘアが似合うお姉さんだった。
ハーフかクォーターかもしれない。彫りが深く陰影のある顔立ちがそれはもう綺麗で、席に着いた瞬間、言葉がでなかったことを覚えている。
エミリさんは私に雑誌を渡すと、どんな髪型にしたいか選ぶよう促した。

気になる髪型はいくつかあったものの、ふと鏡を見れば、どうしても自分の顔と写真の顔を見比べてしまう。
どれが自分に似合うのかわからず、高校生にもなってこんなことも決められない自分が惨めで泣きたくなった。
私が困っていることを察したのか、エミリさんは雑談を交えながら、合間に流行りの髪型や、服装に合う髪型を提案してくれた。

「どうしてカットモデルをやろうと思ったんですか?」
会話の流れでエミリさんからそう聞かれた時、ただチラシを貰ったから、と言うこともできたのかもしれない。
しかし、あの重すぎるヘアサロンの扉を叩いた自分を思うと、軽く流す気分にはどうしてもなれなかった。

「周りの友達がみんな可愛くなっていくから、私も可愛くなりたいなーと思って…」
なんだか気恥ずかしくなって俯くと、エミリさんは私の横にしゃがみこんで、横から雑誌を覗きこんだ。

「すごくいいですね!可愛くなりたいって気持ちに燃えました!絶対可愛くなりましょう!」
エミリさんはそう言うと、どの髪型と相性が良いのか根気強く考えてくれた。
あまりに一生懸命考えてくれるものだから嬉しくて、髪の毛の色を聞かれたときに、私は咄嗟に「赤」と答えていた。
エミリさんのような仕上がりにならないことはわかっていたけれど、もはや当時の自分に似合うかどうかなんてどうでもよくて、いつか彼女のように美しく、人に寄り添える人間になりたいと思った。

あれからヘアサロンへ通うようになった私は、いつの間にか自分を着飾ることに違和感を感じなくなった。
髪色も赤から青、緑やピンク等も試してみた。
見た目は私を表現する方法のひとつで、化粧はまだまだ改善の余地があるけれど、服のセンスは悪くない。
そんな自分を少しずつ楽しめるようになった。

あの出来事を挑戦と呼ぶのは大袈裟かもしれないけれど、変わりたいと願えばそれを応援してくれる誰かがいることを、私はあの日から知っているような気がする。
今も日々変わることを怖いと思う自分に出会う度、私はあの夏を思い出し、自分を奮い立たせている。