運転免許試験場で免許の返納を申し出ると、受付の女性は「……ご本人が?」と目をしばたたかせた。
それもそのはず、事前にいろいろ調べたけれど、免許返納は明らかに高齢者である事を前提としている。手続きを担当してくれた職員の方にも念を押されたけれど、今さら迷うこともない。
書類を記入している時、よかったら、と理由を尋ねられた。
「怖いからです」と私は答えた。

1年前まで、私は地元の花屋で働いていた。配達が多く、毎日どこかへ運転する仕事だった。
時間に追われながら走る、流れの速い大きな道路や田舎の複雑な細道。ひやりとする瞬間は何度かあって、運転について上司たちによく相談していた。
でもいつも返ってくるのは、たかが運転でそんなに騒がなくても大丈夫、みたいな言葉。もやもやしたけれど、結局は私が気をつける他ない。怒られないギリギリの時間を費やして、ゆっくり注意深く配達にまわった。
3年目が見えてきた頃、東京へ転職のツテができた。どうしても運転の不安が拭いきれない事もあり、私は上京を決めた。
その頃にはコロナの流行で配達が激減、運転する機会はほとんど無かった。このまま退職すれば、もう事故を起こす心配をせずに済むと思うと心が軽かった。だって東京、車いらないし。

震えが止まらない。気をつけていたのに起こってしまった流血事件

だから油断していた、というわけでは決してない。
交差点の独立した左折レーン。もちろん徐行した。レーンを渡る横断歩道に侵入しようとする人影がない事も確認した。それでも横断歩道に差しかかった時、私は自転車を撥ねた。
咄嗟のブレーキで車は自転車のタイヤを軽く踏んだところで止まったが、フロントガラスの向こうには男性が倒れている。私は状況を受け止めきれないまま車を降りた。
頭から流血しているのに「急いでるんで」と立ち去ろうとする男性を押しとどめて救急と警察に通報。職場に連絡。近くの工事現場に立っていた警備員さん数人が、男性の看護と交通誘導を手伝ってくれた。

自分の足で救急車に乗り込む男性を見届けて、現場で事情聴取が始まる。前方右のバンパーのへこみと横断歩道の上の摩擦痕は自転車の飛び出しを連想させたが、私の視認範囲が狭かったのもまた事実だった。
全てが終わって車に乗り込むと、抑えていた震えが一気にやってくる。職場にはすぐ戻れる距離だったけれどとても運転できず、先輩に迎えに来てもらった。
幸い被害者は軽傷で済んでいたらしい。警察官の口添えもあって、物損事故として扱うことを了承してくれた、と保険会社を通して聞いた。

撥ねられた彼の姿を見た時、まず頭を過ったのは叔母のお葬式の日のこと。叔母は自転車で、わき見運転の車との追突事故で亡くなった。
葬儀にひっそりと加害男性が来ていたのを私は知っている。会葬者が着席を終えた式場の一番後ろで黙って叩頭していたその人は、喪主になだめられても頭を下げ続けた。あの人はこれからずっと、顔を上げられない人生を歩むのかもしれない。当時小学生だった私にとって、それはトラウマとも呼べるほど強烈なインパクトだった。
あの時から、免許は取らないと決めていたのに。仕事のためとしぶしぶ免許を取り、いつの間にか日常的に運転するようになっていた。

もう運転はしない。交通事故の怖さを知って、より一人でも安全運転者が増えて欲しい

残り1か月ほどあった契約期間を縮めてもらい、事故の1週間後には花屋を辞めた。免許は、いつか事故の怖さを忘れてハンドルを握らないように返納することにした。
周囲の人は、いつか困るから、身分証になるから、と反対したけれど、私にはもう無理だった。“いつか困る”と同じレベル、もしかしたらそれ以上に“いつか事故を起こす”可能性がある事を、どうしてみんなタダゴトのように受け入れているんだろう。
そもそも交通事故は運転技術の問題だけではなく、運でもある。誰もがそれを理解して、よく考えるべきだ。車に乗れて当然、という風潮に押されて恐る恐る運転している人、あなたの考え方はとても正しいと私は思う。
せめてこれからも車に乗り続けるあなた達が、おごらず誠実な運転を続けてくれますように。そして、その姿勢を軽んじる人が減りますように。

さて環境のおかげで運よく免許を返納できた私にも、重要な課題がある。アンチエイジングだ。
免許を返納すると、運転経歴証明書が発行できる。免許に準ずるこの新たな身分証には、28歳の私が写っている。そしてこの証書にどうやら更新期限は無い。
一体何歳まで、この顔写真は通用するんだろう? 頑張って若さを保たないと……。
アンチエイジングか運転経歴証明書の更新について詳しい方に、ぜひご教授いただきたい。