いつも私の味方でいてくれたはずの夏が、2020年は様子が違った。
社会人一年目、コロナにことごとく翻弄され、いろんなことが行き詰まっていた。堪えきれなくなった私は、思い切って夏を裏切ってやった。

逃げるなら今しかない。そう腹をくくった夏、漂流郵便局を目指した

8月25日。私は仕事をサボった。ついでに午後の講演もすっぽかした。
会社にも、クライアントにも、とんでもない大迷惑をかけることになる。そんなこと百も承知だったが、このまま一人、PCの前に固定され続けていたら生きることをやめてしまいたくなりそうだった。
逃げるなら今しかない。そう腹をくくり、黄色のワンピースに麦わら帽子を装って、家を飛び出した。

新横浜駅で岡山行きの乗車券を買い、新幹線に乗車してしばらくすると、あっというまに四国だった。瀬戸大橋線快速マリンライナー高松行きの車窓から、私は瀬戸内海の島々を見下ろしていた。

裏切ったはずの夏の太陽が、憎らしいほどにあたり一面に降り注いでいる。自責の念にかられながらも、抑えようのない高揚感を無視できなかった。

2時間前、突飛な逃避行の旅を思いついた私が、咄嗟に選んだ目的地は、香川県の三豊市詫間町粟島にある「漂流郵便局」だった。
届け先のない手紙やハガキを預かるという一風変わった場所は、やるせない孤独を抱えた自分に似つかわしく、そこに行けば何かが動き始めるかもしれないと、勝手に希望を託したものの、今振り返ると極めて楽観的な見通しだった。

ひとときの逃避行は、その翌日、あっけなく終わりを迎える。

目的はことごとく玉砕し、ぼろぼろ寸前な気持ちと身体を抱え宿へ

高松駅から徒歩1時間かけて到着したゲストハウス「ちょっとこま」で、オーナーの奥さんから聞いた一言に全身から力が抜けていった。
「漂流郵便局って、コロナで閉まってるんじゃなかったかな」
ジ・エンド。Are you really?
ここに来て目的を失った私は、苦笑するしかなかった。
藁にもすがる思いで出てきた結果、案の定、玉砕。

こうなったら夕食くらい贅沢してやろうと開き直り、気晴らしに地元のごはん処に寄ったが、入店と同時に閉店時間だと告げられた。いやはや、ついてない。
仕方なく、近くのファミレスで夕食をすませ、とぼとぼと宿に戻った。

その夜、身も心もぼろぼろ寸前だった私は、ゲストハウスのオーナーにだけ、逃避行のわけを打ち明けた。
「高松生まれ」のオーナーは、宿のHPに目をみはるプロフィールを載せていた。
「サラリーマンをドロップアウト後、世界をブラブラし続ける間に、ボリビアでスリに遭い、コスタリカでは置き引きに貴重品を全て持っていかれ、チベット高原の吹雪の中では遭難しかけて、インドではサドゥーにからまれ、ティモールでは民兵の追跡を受け、エチオピアではパンツ1枚になって泥の河を渡り、ザンビアでは血尿を出しつつ国境を越えたりしながらも、旅を愛しております」
こんな経歴を見てしまったら黙ってなどいられない。
自らのどうしようもない愚行を吐露すると、さすがはオーナー、場数が違うのか寛大な姿勢で受け止めてくれた。
「そういうときもあるよね」
多くは語らない、ただ一言が胸に刺さった。

充実した旅が綴られた情報交換ノートに、惨めだが正直に想いを綴る

翌朝、チェックアウトをすませようと談話スペースに立ち寄ると、情報交換ノートと書かれた冊子を見つけた。
そのノートには、過去の滞在客たちの寄せ書きがびっしり綴られていた。

「この4日間、うどんを合計14杯食べ、栗林公園、こんぴらさん、屋島にも行けて、大変充実していました!」
「4泊5日の四国旅の最後の2日の宿として利用させて頂きました。4日目、直島は天気にも恵まれ良い旅となりました。とても快適に使わせて頂きありがとうございました!」

香川くんだりまで来ておいて、讃岐うどんの一つも食べずにトンボ返りすることになった23歳・女性は見る限り、私だけだった。
こんちきしょう。この上なく惨めだったが、正直に書かせてもらった。

「昨日、横浜の実家でテレワーク中に、突如ドロップアウトし、そのまま一気にここまで来てしまいました。情けない自分が許せず、いろんなことがごちゃごちゃになって整理できず八方ふさがりになり、こんな所まで来てしまいました。職場の人に何も告げず、家族にも知らせぬまま家を出たので、たくさんの人に心配、迷惑をかけている最中です。でもどうしても逃げたいという衝動にかられてしまいました。漂流郵便局を訪れたいというそれだけの目的で来たわりに大して下調べもしなかったので、コロナで臨時休館というドンマイな結果にトホホな感じです。漂流するには、まだ早すぎたのかもしれません。昨晩、宿主さんに、そんな自分のしょうもない旅の目的をとりとめもなく話してしまいました。おそらく引かれたかと思いますが、耳を傾けて下さった懐の広さに感謝いたします。あー、戻りたくない、けれど戻らなきゃ始まらないので、トボトボ帰ります。お世話になりました。ありがとうございました。2020.8.25-26 宮﨑紗矢香」

漂流しそこね、夏。レースを中退し漂流するには早すぎたようだ

ひと夏の挑戦と言うには、あまりにちっぽけな逃避行だったかもしれない。それでもほんの少し、心が救われたと思えるのは、「ちょっとこま」とのご縁にある。
讃岐の言葉で「少しのあいだ」という意味が込められたゲストハウスは、まさに私の心と身体を少しのあいだ、かくまってくれた。
(予約なしで訪れたのに、一泊3000円で泊めてくれた)

ありがとう、オーナー。ありがとう、ちょっとこま。

帰りは大人しく高松駅から列車に乗り、来た道と同じ経路を引き返した。
相変わらず、青い海と円形の島々は美しい。
このままずっと、車両に揺られていたいと願う。
でもそういうときに限って、時間とは残酷なもので、少しのあいだも待ってはくれない。

月火水木金土日。終わりなきチキンレースに、言いようのない空虚さを覚える。
レールの上を走る人生に嫌気が差したのは事実だ。
他方でまだ、レースを中退し漂流するには早すぎたようだ。

漂流しそこね、夏。

新幹線は私を香川に逃避させたときと変わらぬ速度でまた、東京へと向かわせている。