「最後はママのところに行くんだろう?」どうしてそうなったと思う?
「どうせみんな最後はママのところに行くんだろ。誰も俺の面倒なんてみちゃくれないんだ」
どうして、どうして、そんなことになったと思う?
父と母。子供の目から見ても、昔から、対になる存在のように感じていた。お互いを批判しながら、どこか依存しあっている。心の底では愛とは言いようもない絆を持ちつつも、どこかお互いのある部分を辟易している。
「子は鎹(かすがい)」とはよく言ったものだ。母が父とまだ一緒に生活しているのは、会社と子供があるからだろう。
母はよく言う。
「あんたのその頑なで素直じゃないところはパパそっくり!」
父はよく言う。
「おまえのそのひねくれてて頑固なところはママそっくりだよ」
お互いが決まって、どちらかがいない時に、私に言ってくる。片方がいない時に、同じこと言ってくるんだからタチが悪い。
「自分の味方はいない」と拗ねる父親にかける言葉はなかった
2人して同じことを言ってるって面白いよね。笑っちゃうよ。あんたら、自分で認めたくない自分の性格、片方に押し付けてるだけじゃん。
そりゃあ、頑固な両親から産まれりゃ頑固に決まってるや。親が捻くれてっから子供もひねくれてんだよ。
おめでとうございます。私は間違いなくあんたたちの子供です。
母は、私が母の股の間から産まれてきたとしても、私のことを「お父さんそっくり」という。あんたは私に似てない。あいつと上手くやれるのはあんただけだと。
父は最後自分の面倒を見てくれる子供はいないと思っている。どうせみんな母の味方だから、と。当たり前だろう。母はとにかく子供のためにと生きてきたのだから。それに、自分だってお母さん子だろうが。自分の味方がいない、と拗ねる父親にかける言葉はない。ただ……、
どうしてそうなったんだと思う?
子供ばかりにかまう母が嫌で、外に遊びに行くことで自分の居場所を作ろうとしてきたんじゃなかった?
きっと最後の最後に、自分の居場所は外にはないんだって、どこかで気づいているんじゃない?
親不孝と言われても、私は「面倒見てあげる」なんて言ってやらない
結局いつも最後に助けれくれたのは、いざという時支えてくれたのは母なんじゃないの?
そういう人を蔑ろにしたから、後ろめたいんじゃないの?
でもそうしてきた結果、返ってきた反応は自分のせいじゃない?
それがわかってるから、つい「どうせ誰も」なんてぼやくんじゃないの?
父はきっと今までの非礼を詫びるなんてことはできない。ひねくれた頑固者だから。母は今まで叩きつけられた言葉を忘れようとなんてしない。どんなに子供な父がつい言ったことだとわかっていても。頑なで素直じゃないから。
そりゃ、私だって今まで父がしてきたことを水に流そうなんてことは出来ないし、そんなこと言えない。母が苦しかったことも、父がもう戻れなくなってしまったことも、わかっている。だから、私は「最後まで私が面倒見てあげるよ」なんて父に優しいことは言ってやらない。さっきのたくさんの問いかけだってしてやるもんか。
親不孝者?言ってろ。でも、私は歪に曲がった頑固な鎹だからな。引き剥がそうったって、素直に取れないんだよ。だからさ、仕方がないから最後まで繋いであげるよ。
「似た者同士じゃん」って言いながら。
ひねくれた頑固者の父と、素直じゃない頑なな母から産まれた、どうしようもないひねくれ固まった鎹だからね。