私は「植物枯らしマン」である。
去年の初夏の頃、誰もが家にいる時間が増えた。私は、ベランダ菜園を楽しむママ友に影響されて(単純)、唐突に「いっちょハーブや夏野菜でも育てるか」と奮起した。早速、感染対策を取りながら、休園中の息子達を連れてホームセンターに向かった。

ホームセンター屋外のガーデニングコーナーは、私と同じ事を考えた大人達でごった返していた。初心者の私達はリストアップしてきた商品を、メモ通りに急いでピックアップし、そそくさと退散した。
家に帰るとすぐに作業に取りかかった。ベランダに鉢植えを並べ、ネットと軽石、そして土を入れる。種は蒔いて、苗はポットから移す。そして、水をやる。

3ヶ月は続いたと思う。プチトマトの収穫までは、なんとかたどり着いたからだ。……その後はもう、お察し案件である。

今では完全に干からびて、声をあげることもできない植物(だったもの)達。私は1度は愛情をかけて育てたその子達を、うちにはもう居ないものとして捉えて、知らんぷりで生きている……。多分、普段足を踏み入れない3階のベランダに置いたのが、そもそもの間違いだったのだ(言い訳)。

こんな業の深い私だが、お花屋さんが大好きだ。

……うん。いやもうね、前後の文章の接続がおかしいのは、こちらも承知してるんですよ。「草木を枯らす女がお花屋さん大好き」って(笑)……この女はサイコパスなのカナ?
……まあでも、とりあえず、聞いて欲しい。

息子達が選んだ花を花瓶に生ける。毎日眺めるうちに感じる変化

私達家族がよく行く商店街に、手頃な価格で珍しいお花も置いてある、素敵な花屋さんがある。私はそこに息子達を連れていく。そして彼らに1種類ずつお花を選ばせて、買って帰る。家に帰ると、その2本の切り花を1つの花瓶に生けるのだ。
花瓶は3個セット1499円の、シンプルな筒型ガラスのもの。それぞれに高さが異なるので、花の茎の長さに合わせて使い分ける。私は去年のガーデニングの反省を行かして、その花瓶を食卓にドーンと置くようにしている(贖罪)。

息子達が選ぶ花の系統は、毎回コロコロと変わる。彼らは「え?これ?」と思うものをチョイスすることもある。しかも私はそれをまとめて生けるわけだから、最初はしっくりこなかったりもする。

しかし不思議なもので、毎日それを視界に入れて水を替えていると、なんだか見慣れてくるのだ。息子達も、自分の選んだ花が少しずつ変化していくことを知る。
蕾は少しずつ開き、満開になった花はやがて花びらを落とし、枯れていく。ガラスの花瓶なので、放置してしまえば水が濁るのも見える。そんな時は「ごめんね」と思いつつも、茎を少し切ってやり、花瓶を洗って水を変える。

草花を愛でるのは老人の趣味ではなくインフルエンサーの#丁寧な暮らし

植物が変化する様子を観察するのは、大人の私でも面白い。こうして花を育てることで、私に欠けている感覚を少しずつ補えているような気もする。

「草花を愛でるのは老人の趣味」というイメージは、もはや古くなった。テレビを付ければ、俳優さんがベランダ菜園をしている。Instagramでは、コスメを紹介するインフルエンサーの後ろで、大きな鉢に植えられたグリーンが堂々と鎮座している。……これぞ#丁寧な暮らし。

残念ながら、私に鉢植えで植物を愛でるのは時期尚早、というか、去年あれだけ引きこもっていた時期でもダメだったんだから、今のところ不可能なんだと思う。さらば、夢のベランダガーデニング……(無念)。

……いや、私だってもしかしたら。ガラスの花瓶を食卓にドーンと置くように、鉢植えをドーンと家のなかに置ける環境があれば……?鉢植えの植物もしっかりと愛でられるのかもしれない。けれど今は子どもが小さいので、それは無理。またの楽しみに取っておこう。

桜の枝からほとばしる生命力が植物を育てる使命感を強く芽生えさせる

今、我が家の食卓の上には、息子達が選んだ桜の枝が2本、ガラスの花瓶に生けられている。枝ものは良い。変化がゆっくりと感じられて、ボリュームもある。
そして何より、枝からほとばしる生命力が、私に「植物を育てている」という使命感を、強く芽生えさせる。

私の日常は、丁寧というには程遠い。そして#花のある暮らし というハッシュタグで、1:1比率の写真を投稿できる程に、我が家は花の「背景」が片付いていない。
そんな我が家だけど、私だけど。それでも、花屋さんに行ったって、いいじゃないか。

私が花屋さんに通うのは、私の「植物枯らしマン」の汚名を、少しずつそそぐためだ。そして、家族のためでもある。日常的に花を買い、愛でる習慣がついた男子を育てたいという、母としての目論みがあるのだ。

さてと。息子達が幼稚園で過ごしている今のうちに、ベランダの鉢植えを何とかしよう(と思う…だけ…)。