高校時代、2年生になる少し前に転機が訪れた。クラスメイトの一言である部活に入ることにしたのだ。
2階建ての体育館の1階スペースを分けながら4つの部活が活動していた。そのうち3つが毎年夏に一緒に活動をするために、春から積極的に部員を募っていた。その活動とは「公演旅行」だ。

3つの部活が一つになり各地を回る一大イベント「夏の公演旅行」

中国舞踊、郷土芸能、民族舞踊の3つの部活があった。簡単に言えば中国の踊りと日本の地域太鼓、地域の伝統舞踊をそれぞれが取り組んでいた部で、日本でもなかなかこれらが集まる学校はなかっただろうと今でも思う。
3つの部活は各自演目を複数習得し、夏以外にもお祭、学校行事でも度々一緒に公演プログラムを組み、小一時間の公演をこなしていた。部が一緒に活動していることもあり、同じフロアでその3つの部活を掛け持ちしている部員がほとんどで、20近くの演目を習得している者もいた。
その日々の活動の中で共通の一大イベントが「夏の公演旅行」であった。
正確には部員でなくても「行きたい!」と希望する人が集まり企画運営する有志の活動でもあるが、大多数は部員で構成されていて、放課後、土日はもちろん、朝、昼休みにも全力で活動していた。
私は2年からの遅いスタートとなったが、初年度から係長を務め、結果として1年で10以上の演目を習得した。初めてのことばかりでとても苦労した一年だったが、その年の夏の公演旅行では学校がある埼玉、ご縁があった四国の愛媛、長野の三県を巡る10日間を30人近くのメンバーと過ごして一気に経験値があがり、2度目で最後でもある高校3年生での公演旅行では運営の主力メンバーにもなった。

「私達が作っている」というワクワク感以外に芽生えたもう一つの感情

1年経つと、各演目の説明、演技時間、構成できるメンバーがほぼ把握できるレベルになり、活動も周囲をちゃんと見られる余裕も出てきた。運営に関わることはどれも楽しかったが、中でもリーダーメンバー同士で行なう部活後の夜会議がとても楽しかった。
毎日朝から晩まで活動し尽くし、順調に時間が過ぎゆく中で、夜の一種の特別感がある会議は、青春小説の主人公のようなワクワク感を与えてくれていた。大人にも近づいている年齢の自分達が、主で動けることがとにかく楽しく「私達が作っている」という感覚があったのだ。
でも、そのワクワク感以外にももう一つ、抱いていた感情があった。
1年目はそんなこと全然考えてもなかったが、最後の夏が近づくにつれて、きっかけの一言を私にくれた彼に対して恋心が芽生えて来たのだ。
彼は中等部から活動している大ベテランで、今回の公演旅行のリーダー長でもあった。持っている演目数、演目の質も一番で、誰もが一度は憧れ、嫉妬するような存在だった。
そんな彼と私は中国舞踊ではペアを組むことになり、一緒に活動する機会が多くなった。2年目とは言え私はまだまだ彼に対して新人レベルで、それになんとか釣り合うように必死に練習した。
複数人で踊る演目はもちろん、一人で踊るソロも複数習得した。朝は寮内で一番に起きてストレッチ。朝練では登校組より先に体育館に行き練習をスタート。昼休みも部活後の夜の時間もずっと自主練習や過去の映像を見たり、楽曲を聴き込むなど、関連したことばかりしていた。

「超えたな」。踊りを見た彼の一言に、努力が報われたと喜びが溢れた

私が2年目でほとんどの演目を習得できたのは、寮生であった事がとても大きかった。使える時間を多く取る事ができて、夜の体育館も使えた。与えられた環境を目一杯使ってがむしゃらに練習して、あっという間に7月中ば。公演旅行のリハーサル期間に入った。
リハーサルは、全11公演分のプログラム通りに衣装を着て実際に進行していき、終了後に早替え、司会、ステージ構成などの反省会を行なう。出番がない時は演技している人を見てあげて、反省会の時にアドバイス等をしていく。同じプログラム構成は一つもないのでリハーサルだけでも数日かかる大仕事だった。
ある日のこと、自分のソロの出番が終わり、彼の隣でリハーサルを見ようと座ったら、「超えたな」と一言。前年に踊っていた先輩を超えたと言ってくれたのだ。
めったに人を褒めない彼からの言葉にびっくりして、時間がたってから喜びが溢れてきた。努力が報われたと思った。まだ本番前なのに。
私は当時ソロは3つ演目を持っていて、彼が褒めてくれたのは七夕の織姫をモチーフにした演目だった。中国特有の長い袖の衣装で袖を動かしながら、彦星を思い一人で踊る。3つのうち2つが恋心を題材としたものだったので、私は自分の心情を物語の女性達に投影して表現を作り、よりリアルに踊りに気持ちを乗せようと練習を重ねてきたのだ。強い決意も密かに抱きながら。

「無事に夏の公演旅行が終わり、9月の凱旋公演も終わったら、もう一つペアで踊りたい演目に誘おう。それと彼に気持ちを伝えよう」。

濃くて短く楽しかった2年で得たものは多く、今も手元に残っている

夏休み初日、学校最寄りの駅のバスターミナルにみんなが集合して大型バスで長野に向かった。
長野では毎年お世話になっている所を数カ所、そこが終わると私のふるさと山梨でも公演をした。日程後半は埼玉に戻り、お祭を中心に保育園も数カ所。中日に買い物、観光も挟んだり、男子メンバーがみんな寝坊するなどハプニングもあったが、天気、メンバーにとても恵まれて無事に公演旅行は終わった。
夏休みが明けて数週間、9月中頃の凱旋公演に向けて練習を重ねて、週末の丸一日を使って全演目を披露した。
無事にやりきった!と思っていたら翌週にある外部者向けの学校案内メンバーに選出されてしまい、久々の休日がおじゃんに……。が、メンバーは他にもいて、公演旅行の仲間達だった。
そこには彼もいた。これはチャンスと思って、他のメンバーに根回しをして二人になる時間を作ってもらった。そうしてようやく気持ちを彼に伝える事もでき、2年に渡る私の夏の挑戦が終わった。卒業まで残り半年。もう一つ、ペアで踊る約束を彼とした。
一番濃くて、でも短くて楽しかった時間。2年しかなかったが、得たものは本当に多くて、今でも手元に残っている。踊りや太鼓が好きになったのも、この2年があったから。
公演旅行のメンバーとは10年以上経った今でも繋がってる人もいて、たまに会うことも。
もちろん、彼とも。