お父さん、私はあなたに「ありがとう」は伝えてきました。日常的な関わりから、父の日、お父さんの誕生日、私の誕生日と、一般的に「ありがとう」と言う機会に。

特に祝祭日のありがとうは、小さな所作へのありがとうではなく、人生においての「ありがとう」となる。本心でないことはありません。でも私はそれを言う時、心の5割ほど嘘をついています。あと5割は嫌悪と、疑問と、慈悲です。

敵である母のことを知ろうとすると、父の味方「像」は崩れていった

私が小学2年生くらいの時から、お母さんがアルコール依存症になりました。入退院を繰り返し、嘘をついてはお酒を飲み、そのうちに家事も食事も排泄も汚いまでに痴呆になっていきました。私がそんなお母さんを嫌いだったのはお父さんも承知だと思います。

普通のお母さんじゃない。お母さんは私を邪魔する人。家を騒がしくして、ご飯もまずくて、家族をめちゃくちゃにする。どんどんお金を使って、勉強の邪魔をして、私の将来をどうでもいいと思っている人。

だって、お母さんが入院していて、お父さんとお姉ちゃんとお兄ちゃんだけの時は家が静かで平和。本当に平和。お父さんは味方で、お母さんは敵。私はそう思ってきました。
大学進学を機に自分を見つめ直すことが多くなりました。自分の中のもやもやであった、精神疾患とその治療法としての地域福祉について学ぶようになりました。

問題を現象だけでなく、システムで見るようになりました。差別や偏見を勉強する上で、人の認知や学習についても学びました。問題の原因が一人一人の“意志“ではなく、さまざまな環境要因が互いに影響しあって起きているものだとわかると、「母親が悪い」と言う考えが少しずつ剥がれていきました。そしてそれと同時に浮き出てきたのが、ずっと味方だと思っていたあなた、お父さんが私のもやもやの一因だということです。

「お母さんと私、どっちが頭悪いと思う?」確信を持って父に聞いた

お母さんが一番初めに入院した時は、家族みんなで週に1回面談に行ったよね。行き帰りの車でみんなでゲームをしながら。お父さんも着替えとか何とか色々持って行っていた。
でもいつからだろう。退院して、またお母さんがお酒を飲んだ時、すごくお父さんが怒っていた。

私もお母さんが隠れて飲んでいることは知っていたけど、一緒におつまみもらえるから嬉しいなくらいで思っていた。でも、お父さんが怒鳴って、お母さんが謝っている姿をみて、「お母さんがお酒を飲むことはいけないんだ」と私は“学習”していました。

あるときは、お父さんがお母さんの部屋に入って、お酒を探していました。そして見つかり、また怒っていました。私は「お母さんがお酒を隠して飲もうとしている、そしてそれは悪いこと」と“学習”しました。

それから私もお母さんの粗探しをしてはお父さんに報告しました。お父さんのお母さんへの「でていけ」「やめてくれよ」と言う怒鳴り声を聞くたびに、「お母さんはダメな人」「家には邪魔な人」と“学習”していきました。私もお父さんと同じように、お母さんを罵り、怒鳴り、嫌いました。

小学4年生くらいかな、「お母さんと私、どっちが頭悪いと思う?」とお父さんに聞いたのを覚えています。実はこの質問、聞くちょっと前から内に秘めていて。絶対今お母さんは私より馬鹿だ、という確信があって、でもタブーな感じがしていて。それでさりげなく聞いてみた。

「そうかも知れないね」とお父さんは答えた。ちょっと嬉しかった。勝ち誇った感じ。
と同時に、お母さんへの卑下の気持ちは確信に変わった。もう私のお母さんは普通のお母さんと違う。私を世話する存在ではない。私が面倒見てあげなきゃいけない存在。存在にプラスはない。マイナスだけ。そう“学習”しました。

母を「悪」だと決めつけるキッカケになったのはお父さんのせいだ

ね?どう?気づいたでしょう?
お母さんを嫌い、私を邪魔する人、家族をめちゃくちゃにする人と私が認識する鏡になったのはお父さんなんだよ。お母さんはその行為をとっただけ。その行為についての解釈を与えたのはお父さんなんだよ。

きっとお父さんがあの時、お母さんを労って、優しく接していたら、私は「お母さんにそう接するべきなんだ」と学習して、お母さんを卑下したりしなかったと思う。

だって、親が障害持っていても、その親が嫌いって話全然聞かないもん。なんでみんなお世話したり優しくできるのって。お母さんを嫌いになってしまったのは、お父さんのせいだよ。

どうして?どうしてお父さんはお母さんに怒鳴ったりしたの?叩いたりしたの?
私は思うの、お父さんは世間一般で言うDV夫とは違うって。私には一切怒らない。お仕事柄、地域の人のために奔走している。生活保護の人や借金を抱えた人の相談に乗ったり、家を無くしたおばあちゃんを家に住まわせたり。

腰が悪い方の家の家具を運んだり。社会的弱者と呼ばれる人の草の根の支援をしている。もう退職していい歳でもやっている。なのにどうしてお母さんには、いつも怒ったように接するの?わかんないよ。

そして思うの。私がこう思う結果に対する原因がお母さんだけではなく、お父さんにあったように、お父さんがお母さんにそういう態度になってしまったことにも原因があるのだろう、と。

世間からの父親としてのあるべき姿かな。描いていた夫婦観かな。突如家事育児を担当することになった困惑かな。きっといろんなイデオロギーが関係しているんだろうね。どこにも絶対的な原因はないんだよ。社会は複雑に要素が絡み合って出来ているから。お父さんは悪くないよ。
こんな嫌悪と、疑問と、慈悲を影に込めて、また何かの節目に「ありがとう」を伝えるね。