小学校の卒業文集に書いた将来の夢は「音楽家になって世界中を旅する」だった。勉強はできず音楽以外に才能が見出せなかった私は、縋るように音楽に夢を見た。
ソリストとして三階席まであるコンサートホールでの舞台の上で、無事に演奏し終えた私に満員のお客さんが、割れんばかりの拍手を送る。どうすれば音楽家になれるのかわからなかったし、自信もなかったけれど、とにかくそんな光景をずっと思い描いていた。
小澤征爾先生は日本音楽界のパイオニアで、神様のような存在
音楽家という職業の大人が周りにひとりもいなかった私は、音楽の情報はもっぱら本から得ていた。最初に読んだのは、指揮者の小澤征爾先生の「ボクの音楽武者修行」という本だった。この本は小澤先生のルーツや学生時代のこと、ヨーロッパでの修行とコンクールについて鮮明に記された自叙伝だ。
本のおかげで私は、すっかり小澤先生とお友達になったような気分になったけれど、小澤先生といえば、過去にウィーン国立歌劇場の音楽監督を務め、日本音楽界のパイオニアで、神様のような存在である。今の日本人が海外で自由に音楽を学べるのは、ひとえに小澤先生が単身スクーターでヨーロッパに乗り込み、音楽という土俵の上で東洋人への差別や偏見と戦い抜いてくれたおかげなのである。
2年目の時、最前列のど真ん中のチケットを手に入れた
私が小澤先生を初めて見たのは、2016年の3月。「小澤征爾音楽塾オペラプロジェクト」の無料の公開リハーサルを観に行ったときだった。
「小澤征爾音楽塾オペラプロジェクト」とは、オペラを通じて若い音楽家を育成することを目的に、2000年から始められたプロジェクトだ。毎年オーディションで選ばれた若い音楽家たちでオーケストラを結成し、小澤先生とサイトウ・キネン・オーケストラメンバーをはじめとする演奏家のもとで指導を受け、世界の歌劇場で活躍するオペラ歌手や演出家と共にオペラを創り上げている。
私は2018年に大学を卒業するまで3回、この公開リハーサルには足を運んだ。その中でも一番印象が強かったのは、2年目の時だ。手に入れたチケットは、最前列のど真ん中。指揮者の真後ろの席。近代以前なら王様しか座れないような特等席で、まるで小澤先生の弟子にでもなったような気分だった。演目はビゼーの「カルメン」。すごい迫力だった。私もいつか、小澤先生の指揮の下で演奏したいと心から思った。
音楽の感動を絶えさせてしまうことは、本当に勿体ないことだと思う
大学2年の冬。ベートーベンの交響曲第九番を演奏する機会があった。私はアシスタント。つまりソロなど吹く場面が多くて大変な1stオーボエが、トゥッティ(みんな)でフォルテ(強く)で演奏する箇所を補助する役割だった。私は特等席に座っていた。第四楽章、弦楽器が楽器ごとに順番に、かの有名な"歓喜のメロディ"を奏で始める。旋律が絡み、複雑な層になる。その瞬間、大きな波のような存在が目の前でうねり狂っているような気がして、全身に鳥肌が立った。聴覚を失い何も聴こえない中、彼はこれを作曲したのか。
音楽を前に感情を抑えるなんて、至難の業だと思う。26年の人生の中で、心が震えてたまらなくなる瞬間に、何度も出合ってきた。もちろん聴くのも大好きだけれど、オーケストラの一員として演奏する中で感じるエクスタシーは尋常じゃない。生きてて良かったとさえ思う。
またコンサートの途中、まるで作曲家の心に触れているような、奇跡のような瞬間にも遭遇することがある。何百年も前に生きた偉大な作曲家たちが、命を削って書き上げた作品。それを演奏できることは、「幸せ」という他に相応しい言葉が見つからないほどだ。
この感動を絶えさせてしまうことは、本当に勿体ないことだと思う。絵画や工芸品なら形に残すことができるが、音楽は楽譜でしか後世に伝える術がない。最近は録音技術が発展しているとはいえ、やはり生の音楽には勝てないのだ。また楽譜の読み方や、演奏の仕方を知る人が途絶えてしまえば、たちまち音楽は謎の記号になってしまう。
音楽を深く学び、一人でも多くの人に伝えていく
だから私がしなければならないことは、音楽を深く学び、一人でも多くの人に伝えていくことなのではないだろうか。ヨーロッパで発展したクラシック音楽のために、ユーラシア大陸の東の果ての島国に生まれた小娘が出来ることなんて、本当に些細なことだけれど、それが私の生きる使命なのだと思いたい。そして小澤先生を始めとする、沢山の日本人音楽家たちが踏み固めてくれた日本とヨーロッパを結ぶ音楽の道を、次の世代に繋げられるように、負けないで諦めないで歩いていきたい。