自意識過剰だと思われたら恥ずかしい。
そう思って、ゴミ箱に捨てられずに隠していた妊娠検査薬。
夫が眠っている早朝に捨ててしまおうとしていたときだった。
前日試したときには気づかなかった、青い二本目の線が薄らと浮かんでいることに気づいてしまった。

普通であれば、喜びいっぱいの瞬間かもしれない。
でも私には、手放しでその二本目の線を喜べない事情がある。
実は、検査薬を使うちょうど二週間前から、精神科での服薬治療を始めたばかりだった。

我に返ってすぐに、かかりつけの精神科医に電話をした。
いささか早口に妊娠した旨を告げ、産婦人科と精神科のどちらを先に受診すべきかを尋ねた。早口になったのは、焦りや不安、後ろめたさや気恥ずかしさからだったと思う。
対して、医師は極めて冷静だった。
電話越しの「まずは産婦人科の受診を」という的確な返答の声は、対面で話すときの数割増しでクールな印象を残した。

妊娠を告げられても「この先どうしよう」という気持ちでいっぱいなまま

婦人科を受診すると「おそらく妊娠3週後半から4週くらいでしょう」とのことだった。受診のタイミングが早すぎて、エコーでは何も見えなかった。
やたらと気を揉む私を鬱陶しそうにあしらう婦人科の医師に、服薬中の旨を伝えると、わかりやすく様子が変わった。
薬の名前を聞き取り、辞書で薬の作用を調べたらしい医師は、淡々と「精神科の医師にもご相談を」と私に告げた。
言われなくとも、すぐに精神科にも駆け込んだ。

やはり、投薬を打ち切ることになった。精神科の医師は「最悪のタイミングで薬を飲み始めちゃったね」とのたまわった。普段は直球な物言いに好感を持っていたが、この日ばかりはその直球さが痛かった。
何せ、検査薬で妊娠を悟ってから、私は「この先どうしよう」という気持ちでいっぱいだったのだから。

精神疾患、非正規雇用での休職。将来への不安で素直に喜べない

実は、私が精神科のお世話になるのは初めてのことではない。
社会人1年目の頃に発病し、6年目に寛解を宣言されていた。
しかし、社会人8年目の今になって再発の気配を感じ、再び精神科の門戸を叩いたのだ。

これはもしかすると、この病気と一生付き合っていかなければならないかもしれないし、子どもを持つ人生は諦めなければならないかもしれない。
そう思い始めていた矢先の出来事だった。

精神疾患を再発したこと、非正規雇用の身で休職していること。
これらの事実から発生する将来への不安にさいなまれて、素直に喜べない自分がいる。
まだ姿さえ見せぬ胎児に申し訳なくなった。

でも、精神疾患を抱えながら産み育てることが出来るだろうか。
仮に産むとして、妊娠の超初期に薬を飲んでしまって、悪影響が出たらどうしよう。
精神疾患と子どもを抱えた私が、社会で働いていくことは出来るのだろうか。
そして、夫は今回の妊娠に対して何と言うだろうか。

出来るだけ無表情で淡々と告げた妊娠の事実に夫は・・・

けれども、どんなに悩んだところで事実は変わらない。
出来るだけ無表情で、妊娠の事実だけを淡々と夫に告げた。
色んな気持ちを押し殺して、夫の反応を待つ。
私にとっては長い一瞬の後、返ってきたのは「おめでとう」という言葉だった。

意外な言葉に拍子抜けしたと同時に、私は自分の本心に気が付いた。
無感動を必死に装っていたたけれど、本当は嬉しかったのだ。
自分の食い扶持を稼いでくることすら危うい身で喜んではいけないかもしれない。身勝手かもしれない。
でも、"夫との間に子どもを持つ"という憧れのライフイベントの序章に身を浸すことが出来て、嬉しかった。

これからどんな選択をするかはわからない。
ただ、私の精神疾患を知っている人で、第一声に祝福の言葉をかけてくれたのは、夫が最初で最後だった。本当は色々思うところがあったはずなのに、まずは祝福の言葉をくれた。

この人と一緒に、将来の不安に立ち向かって乗り越えていきたい。そう思った。