私は去年の夏、関西にいた。数年の間に疲弊しきっていた自分の心と身体を整えるために8月から10月の3ヶ月間、休職をした。そして3ヶ月、合宿生活をした。 

合宿生活では、様々な事情から人それぞれに何らかの目標を持って参加していた。全国から老若男女さまざまな年齢層が集まった。

だから誰でも参加できるのだ。
実際、期間中に入籍した夫婦も居たし妊婦さんもいた。

合宿中は食事制限もない。スマホの持ち込みも可能だったし、外泊も通院もショッピングなども制限はない。唯一、仕事だけはスケジュールの都合上できない。それだけは覚悟のうえで参加していた。
でも仕事以外なら、ほとんど制限ないのだから心身の健康を取り戻したり整えるうえでは必要な時間と言える。

ここまで簡単に言えば、三ヶ月という限られた期間を、その期間に出会った人たちと共に寝食を共に過ごす時間だった。

そんななか、私の腰は悪化してしまった。 

灼熱の関西での3ヶ月。ここ数年で5本の指に入るくらいの挑戦だった

わたしは腰痛持ちである。
もう10年以上も良くなったり悪くなったりの繰り返しなのだ。

正直付き合いきれないよ……。
なんで私だけ腰痛と付き合わなきゃいけないの?
なんで、お年寄りの多い整形外科に通院して治療を受けないと身体が持たないの?

そう思ったことも少なくない。
でも医者が手術を進めてくれる状態でもないし、一時的に悪くなってしまっても歩けてしまう。だから鎮痛剤を飲んで、コルセットを着けて、無理をしない。それも一時的な対処療法。そんな対処療法の組み合わせで一生付き合うしかないのだ。
それが10年続いている。

灼熱の関西での3ヶ月間。マスクを付けてのコロナ対策。いま振り返ると、ここ数年のなかでも5本の指に入るくらいの挑戦だった。

どうしても仕事に追われてしまい、自分のことを優先できなくなっていた数年。
2年前には心と身体のバランスを崩して摂食障害にもなりかけていたので、1ヶ月の休職をした。
復職して、今度こそはと何度も心を奮い立たせて、なんとか日々の仕事をこなしていたが、休職後も心のモヤモヤは取れず心が晴れない。そんな状態が続き、退職という選択肢も頭によぎり始めた。

「頑張りすぎなくても大丈夫だろう」と思い込んでいたけれど…

3ヶ月の休職は、わたし的に実に前向きなものだった。私が無理をしている状況を知る同僚や上司も、私が少しでも元気になれるのなら行っておいでと快く休職を勧めてくれた。
私としては退職する気持ちは既に定まっていたが、それを周囲に伝えることは避けた。
同僚にも周囲にも、合宿に行った結果で「退職するかは分からない。でも自分が壊れていくのは、もう嫌だから元気になるために行ってくる」そう伝えていた。

そんな一大決心をしての、ひと夏を過ごすと決めていた。決して、ハメを外すわけではなく、それなりに身体を、そして心を動かして自分の内面に働きかけるための大切な時間を過ごすはずだった。
それなりにハードなスケジュールとは聞いてはいた。頑張りすぎなくても大丈夫だろうと思い込んでいた。

でも、いざ合宿がスタートすると実にハードだった。
初対面の方々との慣れない合宿生活。朝から夜まで、比較的みっちりなタイトなスケジュール。
私は比較的年齢が若いほうに属していて、しかも夏の時期は運良く腰痛があまりなく、安定している時期だった。
そんなこともあり、「実は腰痛持ちである」と宣言することは容易く出来なかった。動けてしまう時は、動ける。私の腰は、すごくコントロールが難しい。

腰が本当は悪いのに、自分の背丈には合わないシンクの低さに対しての工夫も対策もせずにいた。例えば、食器洗いや拭きなど腰を労ることもしないでいた。
それが、たったの1週間で悪化させた。

自分の心と身体と向き合い、何が大切で、どうしたいのか決断出来た

その結果、いつのまにか自分の足で歩けなくなっていた。腰もズキズキと痛み、鉛のようにズーンと重くて、足も痺れて、完全に麻痺して、脱力しかけていたので移動には車椅子が必須となった。エレベーターも数え切れないくらい使った。

1ヶ月の車椅子生活、そして手押し車も使わせて頂いて、トータルで休職した3ヶ月は身体を労り養生しながらの生活となった。
しかも例年とは異なり、コロナウイルスの予防でマスクを付けなければならず、熱中症と感染症対策との闘いでもあった。
そんな世の中的にも違う闘いの中、誰かに車椅子を押してもらわないと悪化してしまう。それが本当に申し訳がなかった。
でも、それは相手にとっては頼ってくれて嬉しいよって伝えてくれる優しさに気付かせてくれた瞬間でもあった。そして、その優しさに甘えて良いよって教えてくれた。

正直、腰痛との闘いは痛くて辛い。それでもなお、私の腰は時には良きパートナーでもある。むしろ、そうなってくれる時が多い。

普段歩けてしまうからこそ気付けなかったことに感謝できる。気付けなかった景色がある。身体を動かせる有難みを感じられる。

それはホントに愛おしいものだと気付かせてくれるから。
今なら、そう思える。

何気ない、ごくありふれた日常の動作一つ一つが嬉しいのだ。
たとえば、自分の足で歩けることが嬉しい。自分の足で、一歩一歩踏みしめられる喜び。
朝布団から起き上がる事が出来る喜び。

そんな何気ない日常は私にとっては当たり前のようだけど、決して当たり前ではない喜びの積み重ねなのだ。

私は この3ヶ月の休職のあと、退職をした。去年の夏、自分の心と身体と向き合い、何が本当に大切で、今後どうしたいのかを決断することが出来た。
いつのまにか自分と向き合いきれていなかったことを反省し、10年以上も付き合ってきた腰の状態も知る事ができた。

そして心身ともに元気になれた。今は再就職して再び忙しない日々を過ごしている。実際、一時的に腰も悪化させた。それでもなお充実した日々が愛おしくて、挑戦したいと思っていた業種へ飛び込めたことが何よりの幸せだ。