今宵も自分の中の鬱屈とした気持ちがおさまらず、家族が寝静まった深夜、スマホをタップする。ピカッと明るい液晶画面に対し、検索ワードはどれも暗いものばかり。「嫁いびり」「義実家 嫌い」「義実家 会いたくない」「義両親 来る頻度」。

初の両家顔合わせの際、母が「同居はちょっと」とマイナス発言をした

私は結婚して、4年目に差しかかる。プロポーズを受けた後、初めての両家顔合わせの際にこんな会話が成された。「娘を嫁に出すことは了承しますが、同居はちょっと……」私の母の言葉である。

どうして母が、このハレの日に突然マイナスにも捉えられる一言を発したのか、当時の私には理解出来なかった。私は比較的誰とも絶妙な距離感で付き合えるタイプだし、コミュニケーションスキルは長けている方だと自負していた。たとえ、世間一般のイメージでは大変だとされる義両親との同居であっても、その長所は発揮され、自分なら上手く出来ると信じていた。

義両親は「分かりました。もちろんお互い気を遣わないように別居にしましょう」と、母ににこやかに返す。これにて、私たちの今後の婚姻関係に関する取り決めが為され、晴れて夫婦となったのである。

義両親も「これからは、私たちのことも本当の両親だと思っていつでも頼ってね。私たちも実の娘だと思って大切にするから」と何とも心強い言葉をかけてくれた。この時は、この人が夫になり、義両親が良い人で本当に良かった~と心から思ったものであった。

母が望んだ別居だけど、近所に住む義両親からの訪問攻撃が始まった

自分の中で違和感を感じたのは、程なくしてである。入籍から数週間後、義両親の勧めもあり、マイホームを建てる計画が始まった。まだ夫婦の貯金も少なく、今のアパート住まいで満足していたこともあり、私としてはそう焦る必要はないと思ったが、義両親の「若いうちに建てておいたほうが今後ラクになるから」の言葉に押され、あれよあれよと段取りが進んでいった。

毎週、住宅メーカーとの打合せに一緒にやってくる義両親。部屋の間取り、内装について細やかな指示を出す。少しでも納得出来ないことが生じると、担当者を恫喝するクレーマーと化す義父の姿も見た。内心、私たちが住む家なのにと思いながら、また担当者への申し訳なさ、恥ずかしさも感じながら義父に強く言えない自分がいた。

時には、義理の祖父母も同席し「あんたたち、こんなに若くして家を建てられるなんて幸せ者よ。感謝しなさいね」と洗脳のように声をかけられた。その頃ちょうど仕事で大変な案件を抱えており、休日は疲労回復のため、のんびり過ごしたい気持ちでいたのに、不本意なマイホーム計画に翻弄され、まったく心身を休めることは出来なかった。

そのせいもきっとあり、結局心のバランスを崩し、数ヶ月休職した。あれ? 家を建てるってもっとわくわくする人生のイベントじゃないの? そんな個人的には前途多難だったマイホーム計画も無事に完了し、新居での夫婦二人暮らしが始まった。

一応は、母が望んだ別居。若い二人で新たな家庭を作ることができると心躍ったのも束の間、近所に住む義両親からの訪問攻撃が始まった。週に何度もアポ無しでやって来ては、我が家を舐め回すように見て回り、掃除やインテリアのことに関して口出しされた。

「私たちが建ててあげた(=援助してあげた)家だから感謝しなさいね」とある日突然、義両親から言われた一言。若い私たち夫婦では、絶対に建てられなかったマイホームだとは理解しつつも、この発言には嫌悪感を抱いてしまった。そもそも、もっと自分たちの意向が生かされた家にしたかった。体調を崩してまで打合せに参加して大変だったんだぞ。喉元まで出かかった苦い思いをやっとのことで飲み込んだ。

それからも同居はしていないものの、事あるごとに義両親は私たち夫婦に干渉してきた。私たちの契約した保険についてあれこれ言ってくる。自分たちが紹介した保険に入るよう勧めてくる。また、もう30手前の夫の趣味でしているスポーツの大会に、弁当持参で応援に来る。さらに、夫の好きなお菓子を定期的に届けに来ては、口の悪い愚痴を聞かされる。これなら同居と変わらず、気が張る毎日で滅入ってしまう。やっと母が、“義両親との別居”にこだわった意味が分かった。

我が子を可愛がってくれる「義両親」だが、嫁である私への態度は悪化

そして、義両親への悪しき気持ちを揺るがないものにしたのが、我が子の誕生だった。義両親にとっては初孫となり、それはそれは宝のように我が子を可愛がってくれている。しかし、それと反比例して嫁である私への態度は、悪化の一途だ。次第に孫しか目に入らず、私の顔は一切見ずに会話するようになった。

もちろん、我が子の育て方についても口出し放題。病院で「大事ではないですよ」と言われたオムツかぶれも過剰に心配し、会うたびに「可哀想だ」を連呼した。それは私への当て付けのように聞こえ、ほとぼりが冷めるのはいつかとひたすら待った。「日中はママと二人きりで退屈でしょう。じじばばがいると、もっと遊んであげられるのに」と私の心にチクリと刺さることも平気で言うようになった。我が子を囲い込み、一緒にいる時は触れさせてももらえなくなった。

本当は、しばらく義両親には、我々夫婦に関与して欲しくない。何なら絶縁したい。しかし、夫から見たら大事な両親である。我が子にとっても、かけがえのないおじいちゃん、おばあちゃん。私だけが他人。時々、自分の気持ちを隠しきれず、義両親に対する嫌味な話をしてしまうと、露骨に嫌な顔をする夫も分かっている。結局、大人気ないと思われないように我慢し、義両親へのモヤモヤした思いに蓋をする。

ネット検索をかけると、自分と同じように嫁の立場となり苦労する人が五万といる。自分だけではないと、気持ちを奮い立たせる。今はどうしようもなくみじめで、一歩を踏み出す勇気がない義両親との関係だが、いつかギャフンと言わせる日がくるように、今は耐えて耐えて耐え凌いでやる!全国の悩めるお嫁さんたち、一緒に頑張りましょう!