専業主婦には、明確な休日がない。平日の家事の合間が、今の私にとっての休日だ。

最近その休日に、メイクをする習慣ができた。主婦になるまで、私にとってメイクは“他人の目があるから、嫌でもやらなきゃいけない面倒な作業”だった。メイクは身だしなみ、会社に行くため、私の顔を見る人のためにするもの。メイクをしないことで、だらしない人という烙印を押されるのが嫌だったのだ。

専業主婦となり、人と会うことが減って「メイク」をしなくなった

そんな理由で毎朝メイクをしていたので、メイクをすること、おしゃれをすることそのものが億劫でしかなかった。このままずっと、メイクになんて興味を持たないまま人生を終えるんだろうなと思っていた。しかし、社会人生活5年目で思いがけない変化が生まれた。

結婚して専業主婦になると同時に、コロナが流行り始めたのだ。コロナが本格的に蔓延する直前に退職して引っ越しており、職場もなければ家族以外の人付き合いもない。大好きだった舞台もコンサートも全て中止となり、実家にも1年以上帰れなくなった。

数日おきにこっそり買い物と病院に行き、ひたすら家に1人でこもる日々。そして、そんな生活ではメイクをする必要性なんてどこにもなくなった。

初めはすっぴん生活が気楽で嬉しかった。早起きして、しかめっ面で鏡を覗き込み、急いで顔に塗りたくる必要がなくなったのだ。メイクをしないだけで、こんなに自由に軽やかな朝を過ごせるなんて。しかし、そんな気楽さも長くは続かなかった。

マスクの下は何も見えない。私がメイクしていようがいまいが、寝癖でボサボサだろうが、誰も気に止めない、何も言わない。外へ働きに出ていないので、定期的に顔を会わせる人もいない。この地域で私の顔を知っているのは、夫と義理の両親だけ。はじめは気楽だった生活も、じわじわと私という存在が薄くなっていくような感覚に襲われ、楽しめなくなった。

ホコリを被ったメイク道具。私も一緒に埋もれていくような気がした

そんな時、ふとホコリを被ったメイク道具が目に入った。メイク用品の消費期限は案外短い。どうせもうすぐ期限が切れて全部捨てなきゃいけないし……。どうせ誰にも見せないしと、ふざけて派手にフルメイクをしてみた。

「あれ?意外と私、いい感じ……?メイクって、面白いかも」と、誰もいない家の中で、ふと鏡や窓ガラスを見ると、ど派手で血色のいい私が映っており、思わず笑う。誰も見ないし、何の意味もないはずなのに。なんか楽しい。あ、これっていい気分転換になるかも。メイクっていいなと、生まれて初めて思った瞬間だった。

それまで私は、自分がメイクすることだけでなく、他人がメイクをすることに対してもいい印象を持っていなかった。いつもフルメイクで疲れた様子を見せず、キラキラしている同僚や子連れの母親を、私はいつも苦々しく思ってきた。

「お気楽でいいわね。ヒマだからできるんでしょう?時間と気持ちに余裕があるからできることだよね」「私はこんなに忙しいのに、疲れているのに。朝からばっちりフルメイクして髪を巻いてくる時間が、あなたにはあるんですね。浮かれてないで仕事に集中してよ!」「子供よりも自分の外見の方が大事なの?母親としてメイクより他にすべきことがあるのでは?」と最低なことを思っていた。

メイクをする人はヒマなだけ。自分の「思い込み」を押し付けていた

今思えば、八つ当たりでしかない。その人がどんな思いでメイクしているのかなんて、考えたことがなかった。想像すらしなかった。自分がメイクを楽しいと思えたことで、やっと気がついた。

もしかしたら大した意味なんてないのかもしれない。ただ単に、いつもの習慣としてやっているだけなのかもしれない。けれど、人がメイクをする時、それはその人にとって自分を保つための、大切な休息であり手段なのかもしれないのだ。もちろん、それはメイクに限らない。

土日祝日だから、家にいるから休日だからではなく、人各々自分だけの休日や休息の瞬間があるのではないか。今の私は、出かける予定もないのに、家の中でメイクをする。その瞬間、自分が確かにここに存在している証のようなものを感じている。

生まれて初めて、自分のためだけにメイクをしている。彼氏のためでも、仕事のためでもなく。勇気を出して、真っ赤な口紅を付けてみる。マスクで誰にも見えないけれど。ライラック色のマニキュアも塗った。家事をすれば2日で剥げてしまうけれど。それでもかまわない。メイクをする瞬間、私だけの休日が始まる。