バスは遅れていた。夜更けが近い駅前のロータリーで、わたしは乗るべき夜行バスを待っていた。
時計の針をちらちら見ながら、コンビニで買ったペットボトルのお茶を飲む。かすかに心細くなりながらも、傍らにあるスーツケースの取っ手を握りしめると弾んだ気持ちになった。
金曜日の夜のこと。明日は休日で、広島に一人旅に行くのだった。

こんなふうにして、月曜日から金曜日まで仕事をこなした後、バスに飛び乗って旅に出るのが好きだった。
夜行バスは夜の間に、知らない町に連れて行ってくれる。平日が休日に変わる間に。

早朝の広島駅。駅から出てくる男性たちが話す方言が嬉しかった

シートを倒してアイマスクをし、イヤホンを耳に詰めて、音楽を聴きながらうつらうつらしていればもう、自分がどこを走っているのか分からなくなる。
闇の中をくぐり抜け、アナウンスが流れたら、そこは見たことのない町の真ん中。いつもまっさらな気分でバスを降りた。
何もかも新しい、新品でおろしたての、休日がはじまるのだった。

広島に着いた時、町は薄暗くて小雨が降っていた。まだ午前6時にもなっていない、早朝の広島駅だった。
若い男性二人組が駅から出てきて、「雨降っとる」と片方が言い、「たいぎい」ともう片方が言った。

「たいぎい」だって、とわたしは思う。「面倒くさい」とか「だるい」とかいう意味の方言を、町に降り立った途端に聞けたことが嬉しかった。雨が降っていて、良かったと思った。

わたしにとって旅の醍醐味は、その街に暮らす人たちとすれ違うこと

朝が来たので、喫茶店に入ってモーニングを注文した。目玉焼きとベーコンとサラダと一緒にワンプレートになっているトーストは、クロワッサンみたいな、バターたっぷりのほろほろほどける生地でおいしかった。

目の前の席に女性が座っている。びしっときめたスーツ姿だった。手帳のようなものをめくりながら、タバコを吹かしていた。テーブルにタバコの箱とライターが無造作に置かれていて、長細い指のあいだからすうっと煙がたちのぼる。

わたしはその光景を、トーストをかじりながら見つめた。どうやら彼女の今日は、休日ではないみたい。夜行バスの浅い眠りから覚めたばかりの、ぼやっとした間抜け顔のわたしとは大違いだった。味わい深い純喫茶で、モーニングを食べながらタバコの煙をくゆらす女性は、どこか気だるげで、そしてとてもクールだった。

わたしにとっての旅の醍醐味は、こうやってその町に暮らす人びととすれ違うことだ。一瞬だけ同じ空間をともにして、そしておそらくもう二度と会うことはない。
でも誰がなんと言おうと、その人たちはあの日、わたしの休日の中に生きていてくれたのだ。あれから何年か経った今、みんな、元気でいるだろうか。

恋しくてたまらない旅。非日常は、日常の延長線にあるのだろう

駅前の二人組は今も仲良しで、「たいぎい」と言い合っているだろうか。あの女性は今も同じ銘柄のタバコを吸って、仕事に励んでいるだろうか。路面電車に乗っていたこどもたちや、美術館でゴッホの絵の前にあるソファにずうっと座っていたおじさんは。
「1辛だとピリ辛くらいですね」と店員さんが教えてくれた名物の担々麺は、ピリ辛どころではない辛さだったけどとてもおいしかった。

初めて見た原爆ドームが心にこびりついて離れなくて、日が落ちてからもう一度見に行った時、青年が平和記念公園の広場でスケボーにのっていた。そのあたりにはわたしと、彼しかいなかった。夜の中に繰り返し聞こえる車輪が転がる音を良く覚えている。
みんな変わらずに、あの場所で暮らしているだろうか。それとも、どこか別の場所に行ってしまっただろうか。どちらでもいい。ただ、元気でいてくれさえすれば。

今、あんなふうに身も心も軽いまんまで夜行バスに飛び乗るなんてことが、できなくなってしまった。非日常とも表現される旅というものは、本当は日常の延長線上にあるのだった。
恋しくてたまらない。
「どこからいらしたの」と、とびきりの笑顔でもみじ饅頭を手渡してくれた、お土産売り場のおばさんのことが。
平日の延長線上にある、自由で気ままな休日のことが。