母に「〇〇してはいけない」と注意喚起を受けたことがある。しかし私は、その注意喚起を破った。「あの人に謝りたいこと」、私は母に謝りたい。
謝らないといけないことは、恐らく沢山ある。その中で早めに謝っておかないといけないとしたら、注意喚起を破ったことだ。

母に産んでもらったこの身体。その身体がどうなってしまっても良い、そのようなことを考える私が時々表に現れた。故に、起こった。
私は過去に、危険とわかりながらも、歌舞伎町で知らない人に付いていった。小さい頃「知らない人に付いていっちゃダメだよ。」と散々言われてきたのにも関わらず、自分で判断を下すことができる年齢になってから付いていった。ごめんなさい。

「私の彼女になって欲しい」と言われ「ありがとう」と返した

学生時代、京都に住んでいた頃、イベント遠征の為夜行バスで京都から東京へ行った。その日の夜にまた夜行バスで京都へ帰る為、荷物は少しだった。
降りたのは新宿東口。朝6時半前だった。まだ人は少なく、大きなゴミ袋とカラスが目立った。
朝ごはんを食べる為、モーニングをやっているお店を探していた時、突然海外の人に声を掛けられた。外見は男性、30代半ば程。名前は覚えていないがAとしておこう。
Aは英語で私に話し掛ける。私は話し慣れていない英語をひたすら話した。話しているうちに日本語を話せることがわかる。日本語で話してもらった。
様々なことを話した気がする。京都から来たことを伝えると、「一緒にモーニングをとろう」と誘われた。確か、京都についての話を聞きたかったから、という理由だった気がする。店を探しながら一緒に歩いた。

歩けばそこは歌舞伎町。
部下に見られたくないという一方的なAの都合で歌舞伎町の中を歩く。怪しいという言葉は私の中で浮かんではいたが、そのAに付いていった。
一緒に歩いているうちに、
「私の彼女になって欲しい」
「私の親に会わせたい」
「京都に私が行ったら会ってくれるか」
など言われ、
「ありがとうございます」
だけ返した。何に対しての「ありがとう」だ? と自分の中では突っ込んでいたが。

「ホテルで休憩しよう」と誘われ、突如恐怖に襲われた

途中コンビニに寄った。そこでは、紙パックのピーチティーを買ってくれた。店員さんはストローをつけてくれたが、そのストローはお店を出てすぐに無くしてしまった。

成り行きというものは怖いもので、その後何故か私は、Aと歌舞伎町で手を繋いで歩いた。気がつけば、モーニングをやっているお店を探すという任務は無くなっていたのだ。

自分の中で「どうなってもいいや」という思いが先行する。自分のしていることが危険な目に遭うかもしれないと分かっていながら、私は歩いていた。そのAがタイプだった訳でもなく、お金がありそうだからでもない。私を訳の分からない社会から解放してくれるかのように思えたから、付いていった。
当時の私は自分自身に対し、周囲に対し満足してなかった。その感情を咄嗟のある意味危険な出来事で埋めようとしたのである。

歩いても歌舞伎町は大きなゴミ袋とカラスだらけ。時々疲れたような人とすれ違う。
歩きながらAに、
「ホテルで休憩しよう」
とまるでそれが自然であるかのように突然誘われた。
そこで少しだけ我に返った。私はその誘いを断る。突如として恐怖が襲いかかったのだ。しつこく誘われたが断った。
「私ね、京都に彼氏いるんだよね~」
頭の中にふと出てきた文章をAに対し読み上げた。京都に彼氏がいることは嘘。しかし何か言わなくては、と思った。はやく離れたかった。その後どうなるかはわからない、もしかしたら暴力を振るわれるかもしれない、そのような恐怖が心に滲みはじめた。

私は危険なことをしても何も満たされなかった

Aは私の言葉をすぐに信用してくれた。同時に冷めたようであった。すぐに私から離れていった。
そこから先ははやかった。西武新宿駅でAと別れ、私は新宿駅からJRに乗った。Aと出会ってからJRに乗るまで約30分程。
私は目的地とは異なる東京駅で降り、飲むことができなかったピーチティーをゴミ箱にそのまま捨てた。(飲み物を粗末にしてごめんなさい。)
その後、私は何事もなかったかのように目的地へ行く。その途中ではきちんとモーニングを食べたのだった。

私は危険なことをしても何も満たされなかった。「知らない人に付いていくことは危ない」と分かっただけだった。ちょっとした恐怖。そして今の私にとって芸の肥やしとなった。
結果的に何も起こらなかったが、もし何かあれば大変なことになっていただろう。その可能性を考えたのにも関わらず、咄嗟にとってしまった私の行動。

母へ、自分なんかどうなっても良いと思い、危険な行動をとり、知らない人に付いていきごめんなさい。もう知らない人には付いていきません。