人から好意を伝えられたとき、私はどうしようもないくらい悲しい

勝手に期待して、期待を思いを裏切って生きている。
私は人を好きになったことがない。いや、この言葉には少し語弊がある。
恋愛的に人を好きになったことがない。恋をしたことがない。人を尊敬して、尊い存在だと感じることはあるけれど、物語に描かれているようなあのキラキラとした感情になったことがない。

不思議と人から好意を伝えてもらうことが多い。
「好きだ。付き合ってほしい」などの少女漫画のような言葉。きっと、本当なら鼓動が高まり、頬は紅潮するべきなのだ。でも、その気持ちに私は答えることができない。
鼓動の速さもいつも通りだし、頬も紅潮していない。そんな時、私はどうしようもないくらい悲しいのだ。胃があんぐりと空いているようにも感じる。伝えられた美しい気持ちに答えられない自分が憎らしいのだ。

別に貴方のことは嫌いでもないし、嘘をついて付き合うことも出来るだろう。でも、その君が私に向けてくれるような輝かしい感情を、私は貴方に向けてあげることはできないのだ。
何も返してあげられない。そんな残酷で冷たい思考が頭の中を過ぎる。
この言葉をそのまま伝えたらきっと泣いてしまうだろうから、優しさで包んだ言葉を受け渡す。飾り立てられた言葉に、君は満足しながらも悲しような顔をして去っていく。

優しいと言われながら、私はずっと誰かの気持ちを拒み続けている

もはや感情の裏切りともいえるかもしれない。君は勝手に私に期待して、恋をして裏切られた。私は君の感情や期待を裏切った。
「貴方は優しいから」と相談した友人に言われたことがある。「優しいから、勘違いしちゃうんだよ」

優しくして、何が悪いのか。
確かに、優しいということは、誰にでも無関心ということである。でも、生きていく中で優しいということは武器である。良いとされていることである。
勝手に持ち上げられて、期待されて、その感情を裏切って、その思いを拒んで生きている。優しいと言われながら、私はずっと誰かの気持ちを拒み続けている。

恋をしたいと人は言うけれど、恋と愛の違いすら私は分からない。周りで人が付き合って別れて……という話をつまらないラジオを聞き流すように聞いている。
でも、好奇心はある。だから、人と付き合ったことはあるのだ。
でも、その時ですら恋ということは分からなかった。触れ合った手が熱くなることも、燃える様に嫉妬をすることもなかった。私は相手との感情の高低差が辛かったし、何より自分がそんな淡白で冷酷な人間であることに心底がっかりした。それから、ずっと恋というものに焦がれている。

物語で描かれる恋やら愛が眩しくて、手を伸ばしたくなってしまう

愛とは、奪うことで、与えること。そんな言葉を残した偉人がいるが、ならば恋とは落ちるものなのか?そんな思考をずっと繰り返して、恋に憧れて期待して生きている。

私は私の幻想を肥大化して、勝手に夢を見る。そして、裏切られて悲しんでいる。結局、私もどこかおかしいのかもしれない。自分の感情すら分からないのに、恋をするなんて馬鹿げているのだ。

でも、あの物語で描かれる恋やら愛が眩しくて、手を伸ばしたくなってしまう。手を伸ばして、何もかもズタズタになってしまうのだけれど。そんなことをずっと繰り返しをして生きている。そんなことはしたくはないのに。

運命の王子さまなんていないのだ。でも、運命は掴みたい。ページやスクリーンに映し出された輝きを、私は手に入れたい。そうやって、期待して裏切られていることを悪だと感じながらも、私はまた勝手に自分自身に期待をする。
何度も何度も。その伸ばした手を握ってくれる存在を待ち続けながら。