「ピル、さいこー」と思っていたのだけれど…

20歳の頃からかれこれ6年間、低用量ピルをダラダラ飲み続けている。
副作用がどうとか、今後の自分の体への影響とか、調べたこともない。
周りの友達が何人か飲んでいて、生理がコントロールできる楽さが羨ましかった。だから、特に悩んでいたわけでもないのに、生理不順だと言ったら簡単に処方してもらった。

そんな経緯でダラダラと飲んでいる低用量ピル。
3ヶ月おきに行く婦人科で、いつものように処方箋を書いてもらっていると、先生から不意に言われた。
「そろそろやめてみようか、ピル」
やめてみて、生理周期がどうなっているかを確認しよう、と。
ピルをやめるなんて発想、正直なかった。だって、低用量ピルってすごいのだ。
きっちり決まった周期で生理がくる。経血もすごく少なくて、ナプキンも1日に2枚くらいで済む。夜用なんて必要ない。生理痛はゼロ。ホルモンバランスも安定している気がして、女性特有の(とわたしが勝手に思っている)ヒステリーを感じない。
しかも、これがここ数年のわたしには最重要事項だったのだけれど、妊娠しない。好きな男と、0.02ミリの隙間さえなく繋がることができる。

ピル、さいこー。
と思っていたのだけれど、当然、生理不順の治療用として処方されているわけで、むしろ6年もダラダラと処方されていたことがおかしいのかもしれない。
しかも先生は追い討ちをかける。
「これは実際によくあることだね、生理がすぐにはもとに戻らなくて、妊娠可能かどうか見極められなくなるかもしれない。40歳まで無意味にピルだけ飲んでるなんて、嫌でしょ」

妊娠。生命を誕生させる行為が、どうして怖くないんだろう

妊娠。27歳の女には、当然のごとく選択肢に入ってくるもの。
「そうですよね」と愛想笑いをしてみたはいいけれど、全然妊娠に想像が及ばなくて、わたしの肉体が他の命を宿すなんていうのはわたしにとっては大変グロテスクな発想で、わたしはわたし一人を可愛がるので精一杯で。
というか何より、こんなに生きていて苦しい世界に、新しい命を生み出すなんて傲慢な行為、わたしにはできない。

そんなやりとりがあった婦人科に行ったちょうど前日、姉に子供が産まれた。わたしにとっての甥に当たる。
写真がたくさん送られてきて、「かわいいかわいいかわいい」とたくさん褒め言葉でLINEを返して、お疲れ様お姉ちゃん、と優しい妹を演じて、ふと立ち止まって、やっぱりどう見てもその赤ん坊は可愛くないのだ。
グロテスクだった。
少なからず血の繋がった赤ん坊にさえ愛情を抱けない自分に、愕然とした。

姉はどうして怖くないんだろう、母になるという行為が。生命を一つ誕生させるという行為が。その生命の幸福追求に責任を負わねばならないことが。
そしてさらに恐ろしいのは、その行為は、女の肉体を持つわたしにも可能であるということ。

女であることはどうしてこんなに苦しいんだろう

低用量ピルをやめてしまうと、コントロールされていない生身の身体には生理がやって来るだろう。わたしの子宮は、子供を宿せるようになってしまう。好きな男と0.02ミリの隙間なく繋がりたいという、至極まっとうなこの欲求を満たすと、わたしはこの世で最も恐ろしい、生命の連鎖に加担してしまうかもしれない。
恐ろしいことだと思わない?
こんなに生きていて苦しい世界に、一つの命を生み落とすなんて。

女である肉体が憎い。女であることを知らしめてくる、月に一度の生理が怖い。
男と繋がることでしか生を、性を実感できない自分の考え方のふしだらさも憎い。
でもやっぱり、この健全な子宮がいちばん怖くて、優しくそれをわたしの目から隠してくれていた低用量ピルを手放さないといけないかもしれないこともすごく怖い。
とりあえずまた3ヶ月分のピルを処方してもらいはしたけれど、それを飲み終わったら、3ヶ月後、わたしは妊娠できてしまう身体になってしまう。コントロールされていない、生身の生理が来てしまう。わたしに、「お前は生命を宿すことができるのだ」と警告をしてくる。

女であることはどうしてこんなに苦しいんだろう。
妊娠できてしまうということへの恐ろしさ。わたしを守るのは、毎日一錠ずつわたしの身体に溶けていく薬だけ。