「裏切る」って、どういうことだろう。募集されたテーマついて、ふと考えてみる。
調べてみると、『裏切り(うらぎり、英: Betrayal)とは、約束や同盟関係を捨て相手に寝返る等の行為や、契約とは違った、もしくは期待はずれな事象に対し用いられる言葉。』(出典:Wikipedia)とあった。
「裏切り」という単語から、「約束」を連想した私の考えは、まあまあ当たっていた。
人間は、自分が相手に「された」ことはずっと覚えているけれど、「した」ことは簡単に忘れる生き物だ。
そして「裏切りの記憶」というテーマから最初に思い浮かべた出来事も、やっぱり前者に当てはまる。
留学から三か月後の別れ。「裏切られた」とは思えなかったわけは…
アメリカから私が帰国するのを待つと約束した元恋人は、たった三か月後にそれをあっけなく破った。
LINEで別れ話を終えた深夜、ベットの上ではらはらと涙を流しつつ、こんな結末が来ることを予測していた自分が、部屋の隅からこちらを見つめていることに気付いていた。
日本で付き合っているときから、彼とはずっと一緒にはいないだろうな、とどこか他人事のように分析していて、その見て見ぬふりをしていた気持ちが正しく現実になったのだと思った。
確かに好きだったし、ずっと一緒にいようねとも約束していたのに、それを端から守る気がなかった自分に罰が当たったのだと思ったから、「裏切られた」のだと被害者面は出来なかった。もちろんムカついたけど。
結婚を考えていた彼。ああ、彼を裏切ってしまった
私が「裏切った」のだと明確に思える人も、別の元恋人だ。
その人には、私から別れを告げた。
出会った頃のようにドキドキもしなくなっていたし、慣れや彼の欠点を愛しさに変換できる程の想いを抱くことは出来なかったからだ。
破局後、共通の友達から彼が私と結婚したがっていたと聞かされた時に、ああ、彼を裏切ってしまったと思った。
ずっと一緒にいたいねって、最初に言い出したのは私の方だったのに。
その約束を抱えていてくれたのは彼だったのだ。
裏切り者は、誰から見ても私の方だった。
こう思い返すと、私の中で恋愛が「裏切り」と深く結びついていることが分かる。
そして、この形式に当てはまるのが私だけではないことも確信している。
付き合う=ずっと一緒にいたいと願うことだという考えは一般的だと思うし、それを口に出してお互い確かめ合うこともごく自然なことだからだ。
私がそうだったように、頭で別れを予想していたとしても、口に出して相手の同意が得られた時点でそれは「約束」に変わる。
別れることはイコールで約束を破ることになるのだと、三十歳を目前にして理解した。
簡単で優しい約束だけを交わすことが出来ればどんなに幸せだろう
恋愛経験が豊富な人に、年を重ねるにつれて憧れなくなった理由は、自分の中で守れなかった約束が増えていくのが嫌だから。
その記憶を取り出す度、心の内側を鋭い何かで引っ掻かれる気分になるから。
友達とも約束をするけれど、それらは裏切ることも裏切られることもなく、高確率かつ平和的に叶う。
例えば、あのカフェでお茶をしようとか、どこどこに旅行へ行こうとか。
そんな簡単で優しい約束だけを、恋人とも交わすことが出来ればどんなに幸せなんだろうと想像して、でもそれだけでは足りないのが恋愛か、と思い直す。
神様や大切な人達に、なによりお互いに一生を誓い合った二人ですら、その三分の一が破局を選ぶ世の中なのだから仕方がないって、どこかでまだ割り切れない。
「裏切りの記憶」が増えていくのが恋愛だ。
そしてその重さに、まだ慣れない私がいる。