「メイクとか、しなきゃね」
私は上京してきた妹に声をかけた。とっても可愛い妹は、素直に頷いて、それから熱心に並んだ化粧品を選び始めた……。ということはなく、つぶやいた。
「なにが可愛いのかわからない」と妹。私もそれには覚えがあった
「めんどくさい」
まさか、早すぎる。まだ寝たいけど最低限下地と眉毛はなんとかしたい朝や、疲れてなだれ込んだベッドの中で化粧を落とさないと肌が急速に劣化するという脅しを思い出してから、化粧が面倒になるものじゃないのだろうか。
化粧って絵を描くみたいで、面白いですよ?
「女の子って楽しい」と書いてある広告、今まで禁止されていた化粧。ほら、絵とか好きじゃなかった?
「化粧をしても、化粧してる人を見ても、なにが可愛いのかわからない」
化粧を押し付けるつもりはない。しかしよく聞くと、どうやら妹は、綺麗と言われる芸能人を見てもその化粧が似合ってるか、それが可愛いのかがわからないらしい。
実は私もそれには覚えがあった。
今でこそ私は最高のアイドルたちや、コスメを紹介するYouTuberを漁る日々を送り、ひたすら「可愛い」ものに狂わされている。しかし10年前の私に同じものを見せたところで、その可愛さをわかってもらえるだろうか。
否。先輩の私は、新参者の妹にとっておきの秘訣を伝授することにした。それは至ってシンプル、知らないなら「可愛い」とは何かを知るまでだ。
それは社会の中にある。
可愛いを知るために旅に出た。妹はついに「可愛い化粧」を見つけた
そうして私たちは、新宿や表参道などの大きな街や、ネットなどの情報の大海原へ、「可愛い」を探す旅に繰り出したのだった。
今まで見てこなかったものに少し注意を向ければいい。化粧している人はたくさんいる、あるいはそのものが街に自然と馴染んでいる。「可愛い」という形容詞のつくものとセットになっていたり、その形容詞そのもので表されたりしている。
一緒にSNSを見て、YouTubeを見て、友達とおはなしをして、妹は基本の化粧の方法を毎日繰り返していった。1ヶ月後、ついに妹は自分の持っているものに加え、私の化粧品も使いたがるようになった。その2週間後、アレンジが効いたメイクを自己流で生み出した妹は私に聞いてきた。
化粧は社会だ。私は社会に流され、妹も一緒に流れて行った
「やっぱアイラインは少しあげると可愛くない?」
妹は可愛い。化粧をしても、する前も可愛い。可愛い妹は、ついに化粧に「可愛い」を見つけたようだった。
指南したのは私だが、妹の「可愛い」基準はどこからきたのだろう。兎にも角にも、化粧は上手く私の妹の生活に入り込んだようだ。この文章の冒頭に戻ればわかるが、私が妹に化粧を押し付けたのかもしれない。上京した女性の自然な流れだ、といえばそれまでだが、じゃあ自然って何?
妹と化粧の出来栄えを褒めあって、化粧品を貸し借りして、可愛くなれるのは楽しい。
化粧は社会だ。きっと私は社会に流され、妹も一緒に流れて行った。
私たちは幸せの部分だけを切り取って、ときにめんどくさくなりながらも、これからもメイクをしていこう。
大切なことは流されないままで。