1年半。
18の私にとっては、長い年月だ。
高校1年生の時からよく知る人で、背はあまり高くないけど華奢で、長く伸ばした髪から覗く瞳が、よく見ると綺麗な人だった。
2年生の夏、彼は私を好きになった。そこから3ヶ月間、ほぼ毎日私を好きだと言った。
私は3ヶ月間、ありがとうと返した。一生分の愛を受けた気分だったが、彼に恋愛感情は抱いていなかった。
クリスマスイブに恋人に。今思い出す全ての瞬間が美しく、愛しい
当時の私は部活で大きな仕事を任され、あまりの忙しさと自分が背負う責任の大きさに打ちのめされ、ボロボロだった。自分を責め、辛く、苦しい日々だった。
彼は私を好きだったから、私を常に強く肯定した。俺になら甘えていい、八つ当たりしてもいい、強がらず泣いてもいい、と言った。自分を否定することしか知らなかった私は、絶対的に私を肯定し好きでいてくれる彼に、恋をした。
私たちは恋人同士になった。クリスマスイブの夜だった。
本をよく読む人だった。映画もたくさん見に行った。2人で演奏会に行き、図書館に行き、美術館に行った。物知りな人で、色んな所に行くたびに色んな話をしてくれた。私が知らなかったことを、彼がたくさん教えてくれた。
私の腰に手を回して歩く所、私の髪を耳にかけて微笑む顔、美味しそうに焼肉を食べる姿。今でも全て鮮明に思い出す。もう戻らないけれど、今思い出す全ての瞬間が美しく、愛しい。
どれだけ彼が憎くても、2人の距離が世界で一番近くなった時…
もちろん欠点もあった。彼はとてもプライドが高い人だった。周囲を見下していたし、皆、自分より頭が悪いと思っているようだった。
私の話を聞かず、いつも彼が話してばかりだった。かといって私が彼の話に対し何を思うかにも興味はないらしく、トーク画面の緑と白の比率はいつも2:8くらいだった。
何より嫌だったのが、女の子と出かけることだった。私は寛容な恋人にはなれず、友達とはいえ好きな人が女の子と出掛けるのが本当に嫌で、不安だった。
それを伝えてもなお、彼は変わらなかった。私のLINEには何日も返信せず、後輩の女の子とタピオカを買っていた。私の友達と2人きりで、のこのこ一緒に登校してきた。買い物にも行っていた。
嫌だと言うと、分かったもうしないと謝った。そして、またやった。
どれだけ彼が憎くても、バス停までの道のりをそっと手を繋いで歩いて、駅に向かうバスの一番後ろの席に座り、彼が私の肩に手を回して、2人の距離が世界で一番近くなった時、どうしようもなく彼が愛しくなってしまうのだった。
2人でいる時間が幸せだったから、もうそれでよかった。あの時の私たちは、間違いなく幸せだった。
一度心が遠ざかれば速かった。心は予想以上に、疲れていた
春が来て、私たちは進学のため地元を離れ、互いに別の土地で一人暮らしを始めた。最初は上手くやっていた。寝ずに電話したし、デートの約束もしていた。新しい環境で迎える不安な日々のなかで、彼の存在は心強く、私を安心させた。そんな時、ぷっつりと、彼からの連絡が途絶えた。
よくあることだった。彼は繊細かつ不器用な人で、あまりに忙しく、極端にストレスがかかってしまうと、周囲との連絡を一切シャットダウンするのだ。
もちろん私としては、そのような状態にあるという一言が欲しかったし、ただ待つだけの日々は不安で仕方なかったけれど、彼を尊重するよう心掛けてきた。今までは。“今までは”だ。
そう。私は。
私は、耐えられなくなってしまったのだ。距離なんて大したことないと思っていたのに、喧嘩した日の帰り道にぎゅうと握り締めた、2人の溝を埋めてきたごつごつした彼の手の温度を、前のように感じることはもうできなくなった。
そして、一度心が遠ざかれば、そこからは速かった。私の心は予想以上に、彼に疲れていたようだった。私が抱いた不満と嫌悪は、彼の手が消し去ってくれていた訳ではなく、ただ何となく素敵な雰囲気を纏った思い出として上書き保存されていただけだった。
いつか、別れは来る。ずっと一緒に、なんて思っていなかった。期待しないほうが楽だから、どれだけ楽しい時を過ごしていても、ああいつかは私たちも別れるんだな、と俯瞰していた。
どうせ別れるなら、もっと最悪な別れをこの先迎えるくらいなら、少しでも彼を嫌いになれた今、顔を見ることのない今、別れてしまいたかった。
電話して「ただ戻りたいだけなのになあ」と思った。でも現実は
彼に電話を掛けた。案外あっさりと別れよう、と言えた。
なんで?と彼は言った。私の目からは、涙がどくどくとこぼれた。
不思議なものだ。人が死ぬ前そうであるといわれているように、彼と過ごした場面が走馬灯のように駆け巡る。私が泣いているのを見つけると、すぐに駆け寄って抱き寄せて、大丈夫だよと頭を撫でた。機嫌がいいとアイスを奢ってくれた。なんでもない日に詩集をプレゼントしてくれた。私の名前を呼んで、好きだよ、とうんざりするくらい言った。
戻りたいなあ、と思った。ただ戻りたいだけなのになあ、と思った。でも、もう戻れないことなど分かりきっていた。
彼は電話の向こうで声を震わせて、好きだよ、と言った。
もしかしたら、君とずっと一緒に居れると思ってた。たくさん我慢させてごめんね。今までずっと、ごめん。今こうして振られちゃったけど、また明日も告白しちゃうかもな。と、言った。
彼も、私も泣いていた。私たちは、別れることになって初めて、本当にお互いを好きになったのかもしれない。
こうして私たちの恋は終わりを迎えた。淡く、儚く、歪な恋だった。
甘い言葉を囁き交し合うのと同じくらい、酷い言葉で相手を傷つけあった。それでも間違いなく、あの時の私たちは幸せで、すべてが愛しくて、どうしようもなく恋をしていた。
いつか、出会えるのだろうか、と思う。彼よりもっと、好きになれる人に。
出会えなくてもいいような気もしている。でも、もしまた愛する人に出会えたなら、今度はちゃんと、「ありがとう」と「愛しているよ」を伝えようと思う。
もう、握った手を離さないように。