『裏切り』の記憶と共に、私たちは今も夫婦でいる。

夫を裏切り、不倫したのは、私の方だ。

始まりは五年前、念願叶って海外赴任になった時のことだ。新婚早々だったのにも関わらず、夫は「マユちゃんの夢だから」と、快く送り出してくれた。

夫は、まっすぐで優しい少年がそのまま大人になったような人だ。そんな彼となら、遠距離になっても大丈夫、きっとやっていける、と思えた。彼の方でも、私を信頼してくれていたのだろう。

渡航後も毎日電話して、お互いを励まし合った。離れて暮らしていても、二人の関係は変わらないように思えた。

赴任先で出会った同僚の韓国人・A。ある夜、関係を持ってしまった

問題だったのは、当時の私が、自分の「寂しさ」への耐性を過信していたことだ。そして、そんな自分の弱さを認められなかったことだ。

心配をかけたくない、できる自分を証明したいという気持ちに、そもそも自分が好き好んで来ているのだからという気後れもあって、職場でのストレスや、異国で一人暮らすことの心細さを誰にも打ち明けることができなかった。

夫との電話でも努めて明るく取り繕ううちに、少しずつ、話すこと自体が苦痛になっていった。

そんな時、現地で同僚となった韓国人・Aとの距離が近づいていった。
お互いに既婚者だったが、同じ環境にいる外国人同士、多くを語らずとも通じ合えるようなところがあった。

二人きりで食事したり、散歩したりするようになるまでに時間はかからなかった。口下手な夫と違い、ストレートな言葉で愛情表現してくれるAに、弱っていた心は癒され、揺さぶられ、ある夜、身体の関係を持ってしまった。

Aと深い仲になったことで、私は、一時的にはむしろ安定し、夫とも楽に話せるようになった。
知られるはずがないとたかを括っていたし、遠距離のせいで夫の現実感は薄れ、罪悪感すら感じなかった。だからこそ、時には夫に、同僚の一人としてAの話をすることもあった。

初めて見た夫の涙。私は後悔に襲われながらも嘘をつき通した

私の目を覚まさせたのは、一時帰国した時の夫の一言だった。

ひとしきり再会を喜び合った後、夜になってから夫は言った。
「あの韓国人の男と、どんな関係?」

動揺した。
私は咄嗟に、同僚、とだけこたえ、しどろもどろになりながら、長々と説明を続けた。夫は黙ってこちらの目を見つめ、静かに言った。
「さっき、マユちゃんの携帯を見たんだよ」
その瞬間、さっと血の気が引いていくのを感じた。

「ごめんなさい……」
やっとの思いでそう言うと、夫はその場に膝から崩れ落ち、震える声で、ごめん、ごめん、と言って泣いた。初めて見る夫の涙だった。
「ごめん、嘘なんだ。携帯は見てない……」

私は、突然に襲ってきた後悔、申し訳なさ、恥ずかしさでぼろぼろと泣きながら、あなたの思っているような関係ではない、何もしていない、と訴えた。二人で食事する機会があって、楽しいと感じた、でもそれだけ、ごめんなさい、ごめんなさい。

私は、必死に嘘をつき通し、決して不倫を認めなかった。認めるわけにはいかなかった。認めてしまえば全てを失うと悟ったからだ。

けれど、いくら言葉で否定しても、とまらない涙が「全部嘘だ」と告げていた。だって本当に無実なら、なにも泣くことはないのだから。

裏切りの後も、離婚しなかった。それでも、元の二人には戻れない

夫との話し合いの後、Aとは絶縁。しばらくして私は完全帰国した。

夫とは今も続いている。知り合った頃と変わらず、優しい人だ。子供も生まれ、心から幸せだといえる。
不倫した後も、私は、離婚や慰謝料、親に知られる等といった社会的な制裁を一切受けなかった。あの夜以降、二人の間でその話が持ち上がることも二度となかった。

しかし、私は知っている。
夕方、家族でニュースを観ていて、ふと「浮気」という言葉が出る時。
何でもないふりをしながら、夫は「あのこと」を思い出している。

誰かとの会話の中で「韓国」という言葉が出る時も同じだ。
そんな時、私は夫の目を見ることができない。

夫は、私の嘘に気づいている。私のしたことを知っている。そして、それを誰にも言わずにいるのだ。普段は切り離しているようでも、忘れることはなく、許すことも決してないだろう。

それでも、夫は私との生活を続けていくと決めた。私は、自分の犯した罪を背負いながら、夫がそうさせてくれる限り、そばで彼を支えていくつもりだ。

どちらかの裏切りで終わってしまう関係もある。私たちは終わらなかった。
しかし、裏切りがあった事実は消えない。裏切ったら最後、相手に知られても知られなくても、許されても許されなくても、元の二人に戻れることはないのだ。

私も彼も、そう知ってしまった。