私が病院に行くと、みんな原因は母親だねといった。
1人や2人ではない。今までかかった病院の先生みんながそういうのだ。
私の心が病気になって、私が病院に来ているのだから、私を責めてくれたって構わない。
なのにみんな母のせいだという。
先生だけではない。
周囲の人たちも言葉を濁しながら、「お母さん、ちょっとアレなのね」と、いう。
つまり私の母は"毒親"だと周囲はいいたいのだ。
子供を愛し、大切だから優しいだけなのに、何故母を悪くいうのだろう
確かに私の母は優しすぎるところがあった。
小さい頃は何も思わなかったが、大きくなるにつれ、それをひしひしと感じる。
私が部活の先生に嫌がらせを受けていると知った日には学校に乗り込んできて、校長先生に話してくれた。
高校生になって、頭が悪かった私は志望校に落ちまくり、それでも諦めずに最後の最後まで受験のチャンスを与えてくれた。
しんどいといえばすぐ迎えにきてくれたし、一人暮らしを始めて「お金に不安が」と少しでも耳にすると、翌々日には書留が送られてきた。
両親が過保護なのだと自覚したぐらいから、自分の口からはお金がないだとか、物が欲しいだとか、いらないことはいわないでおこうと意識するようになったが、変わらず母の優しさを感じる時は多かったし、周囲と両親の話になると、「お母さん優しくていいね」と、いわれることが多かった。
いつだって私の味方で、いつだって私のために動いてくれた。
子供を愛し、大切にすることは母として当たり前のことだろう。
なのに何故みんな母を悪くいうのだろう。
"母"以外の"母"目線の話を聞き、毒親と呼ばれる理由が分かった
25を超えたあたりから、周囲の変化もあり、子どもを持つ知り合いも増えた。
そして、友人にも子どもが産まれ、"母"以外の"母"目線の話を話を聞くとが増える中で、なんとなく母が毒親と呼ばれる理由が分かった気がする。
親の子離れは、子の親離れよりずっと辛い。
子は親と離れ、学校の友人や職場、いずれ親の代わりになるであろうパートナーという居場所を見つける。
けれど、親はどうだろうか。
何よりも大切な絆を結んだ子がどんどん離れていく中で、次に同じぐらい大きな絆を作れることはないだろう。
それでも親は子の手を離すのだ。子どもの自立の為に。ゆくゆくの幸せの為に。
どんな親も離したくないというのが本心だ。
知り合いからも、「娘が大学になったら追い出すのよ。すごく心配」だとか、「息子が今大変そうなんだけど、危うく助けちゃいそうになるのよね。今回は自分で解決させなきゃ」なんて話を聞く。
みんな離したくないけれど、自分も苦しみを味わいながら子どもから離れるのだ。
私の母は、それをしなかった。
私とずっと手を繋いでいるという選択を取ったのだ。
愛に溢れ常に愛を求めている母に、私の大切な人だよ、と伝えたい
理由は簡単だ。
母自身が母、つまり私の祖母から愛してもらえなかったから。
孫の私から見ても祖母は叔父ばかり可愛がり、母に愛情のかけらもない態度を取る。
祖母は昔ながらの女は家庭にという考えの人で、母は大学にも行かせてもらえなかったという。
そんな母からすれば私たち子どもは、母にとってはやっと出来た依存できる場所であったのであろう。
あれだけ自由にさせてくれた母は、私が一人暮らしをするのに、実家から電車で1時間以内の場所。と、条件をつけた。
東京に出る際も、あれやこれやと条件をつけては拒み、挙句絶対に離さないの一点張りだった。
ようやく出来た居場所を失いたくない、母の弱さが出た一場面だろう。
母の依存が見える部分でいうと日々の連絡もそうだろう。
我が家の家族LINEは毎日動くし、1日返事をしなければ電話が来る。
いつも"お母さん、心配やから"というが、それもあるが実際は彼女自身が誰かと連絡を取っていないと不安になるのだろう。
愛に溢れた母は、常に愛を求めているのだ。
と、なんとなく母の弱さと毒親といわれる所以を理解したことで、今の私には何にも出来ないが、常に寂しさと暮らす母に、それでも私の大切な人だよ、と伝えたい。