「ママにはもう必要のないものだわぁ」
スーパーの生理用品コーナーで夜用ナプキンを物色していた私に、母が言った。鮮魚コーナーを見てくるといって数分前に別れたが、いつの間にか背後に立っていたので、私は小さく「びっくりした」とつぶやいた。
「今は色んなのが出てるよね」
「昔は種類が少なかったってこと?」
私がきくと、母は「多い日昼用、多い日夜用とか細かくナプキンの種類が分かれてはいなかったよ」と答えた。
何にでもイライラする。生理期間中の私は、普段より五割増しで凶暴
二年ほど前、母は閉経した。母は学生時代から生理痛がかなり重く、苦しんだとよくきかされていたので、生理が終わったことにせいせいしているのかなと思った。
兄と私を産んで、女手一つで育ててくれた。強く優しい母を尊敬している。けれど、閉経してから何か月か経ち、私に毎月生理が来るたび、「ママは終わっちゃったのかぁ」とぼやくようになった。
「いいじゃん、大変だったんでしょ」
「そうよ、お腹が痛くて夜も眠れなくて、ベッドの上でゴロゴロ這いずり回ったの。でもいざ終わってみると、なんだか寂しいというか、もう子供を産めないんだなぁって」
「まだ子供産むつもりだったの?」
びっくりして私がきくと、母はけらけらと顎をあげて豪快に笑った。
生理痛の重かった母の体質を受け継ぎ、私の生理も最悪だった。生理期間中は毎日、こんなに出て大丈夫なのか心配になるくらいの出血があり、ナプキンを取り換えて便座から立ち上がるたびに、体がふらふらした。お腹だけでなく腰や頭も痛くなり、何にでもイライラする。生理期間中の私は、普段の私より五割増しで凶暴だ。
生理によって自分の予定が左右されないよう、工夫できるようになった
そんな私を見かねて、母はいつも献身的にサポートしてくれた。体を冷やさないよう温かいお茶を淹れてくれたり、凶暴化している私をなだめようと甘いクッキーを焼いてくれた。
お気に入りのカラフルなパジャマに血を付けてしまって泣いている私をなぐさめ、あらゆる洗剤を使いこなし、汚れをきれいに流してくれた。毎月一人で乗り切っているつもりだったが、いつの間にか母に支えてもらっていたのだ。
二十五歳になった私は、ようやく自分の生理との付き合い方を理解してきた。スマートフォンに月経を管理できるアプリをインストールして、自分の生理中のデータを入力し、次の生理開始日を把握したり、生理周期を知ることが出来る。
今でも凶暴になることはあるけれど、学生時代に比べたら安定してきたのではないかと思う。タンポンや生理カップを利用しながら、生理によって自分の予定が左右されないよう工夫もできるようになってきた。
生理は相変わらず辛いし忌々しいと思う。けれど、私は着実に自分の体との付き合い方を学んでいるのだ。
私と生理との付き合いはまだ十年。できる限り仲良く過ごしていければ
「私に初めて生理が来た時のこと覚えてる?」
「覚えてるにきまってるよ、遅くて心配してたもんね」
母の話によると、中学三年生の秋ごろに私は生理が来たらしい。十五歳という、周りの女の子たちより遅かった私の生理。母は、十五歳までに生理が来なかったら一緒に病院へ行くつもりだったと言っていたので、心の中では相当心配してくれていたようだ。
「なんか黒いのがパンツについたから生理かも、って。ママそれ見せられたんだからね」
母が目を細め私を睨んだ。
「ごめん、でも血の色には見えなくて……あんなに真っ黒いのがパンツについてたことなかったから」
「まあママも何百回も見てきたから、慣れてたけど」
そう言って母は、またけらけらと愉快そうに笑った。
私と生理との付き合いはまだ十年だ。毎月やってくる天敵のようなものだけど、これからもできる限りは仲良く過ごしていければいいと思う。
きっとすぐそばで、大先輩の母が見守ってくれるだろうから。