でも、あの人、整形してるんですよ。
後輩がそう言った。確か、ある芸能人の女性についての話題だった。
彼女の顔を特別美しいとは思っていなかったが、まるで、顔に手を加えた事を悪だと言うような言い方に引っかかった。その後輩だけではなく、その発言に違和感をあまり感じていないらしき周囲の様子にもモヤモヤした感情が残った。
しかし私の周りだけでなく、ネットを見ても、「化粧が濃いだけ」「整形だろう」という意味不明な言葉を目にする。
どうやら、元々のすっぴんが可愛くなければ、整形や化粧は「ずるいこと」に当たるらしい。

化粧をしないと怒られ、濃ければ「詐欺」。いつからこんなに窮屈に

しかし、社会に出れば、化粧はきちんとすることが「今の常識」の様だ。
私は肌が弱く、若い内はファンデーションは塗らずにいた方がいいと母に言われたが、その後出会った同年代の友人達から「ファンデーションもしないなんて」「身だしなみくらいちゃんとしなさい」と半ば説教のようなものをされた。
本人達は、「私の為に」助言しているつもりらしい。
その時は「そうだね」と頷きながらも、同性の友人に言われたというショックも相まって、心の中ではおいおい、それをあんたが言うのか、只の余計なお世話だよと、そう思っていたが、
しかしこれは紛れもない事実で、今はむしろ、女性の方が化粧が常識という概念が強いのである。
今の世の中、化粧が濃ければ「詐欺」、薄付き過ぎれば「みっともない」、男性が化粧をすれば「女々しい」などと言われる。
化粧やファッションはいつからこんなにも窮屈な箱に収まってしまったのだろう。
理解に苦しむ事だらけで、時折、メイク自体にもうんざりしそうになる自分がいた。
化粧は、毎日欠かさずしなければいけないことだろうか?
どの程度なら、どうすれば認められるのか。そもそも、他人に批評されなければならないものだっただろうか。

初めて化粧をした時、自分の為にしたメイクが嬉しく、満足だった

初めて化粧をした、あの時自分は、そんな事など考えていなかった。
ただ、自分の為にメイクしていた筈だ。
母の化粧ポーチを勝手に持ち出して、何をどう使うのかもわからぬまま、手探りで完成した顔は、珍妙なモンスターの様だったが、それでも満足だった。
もちろんその後しっかり怒られたのだが、少し経って母は私にCHANELのリップをくれた。
それが嬉しくて、ドキドキして、それ以外のことなど、どうでもよかった。
ならば、もうそれで良いのかもしれない。
美しさは他人に求めるものではない。年齢や性別に関わらず、整形していても、メイクが濃くても、薄くても、それがその人の求めた形ならば、私はそれを素敵だと言える人でありたい。
どうせ人が思う美の価値観など様々だ、自己満足で結構。
リップを引いて、シャドウを重ね、その日その日の服に合わせて、気分に合わせて。変わらない日々だって、自分自身に彩りが生まれる。メイクは本来、そういうある種のパワーをくれる物だ。見ず知らずの他人の評価に合わせた事など、一度だって無いのだから。
他人の評価を気にして、メイクを嫌いなったり、遠ざける必要もない。そうやって、メイクも、メイクをする自分も大切にしよう。
やっぱり私は、鏡の前に座ればワクワクして、母のリップの香りに心が弾むのだ。