私は動物の中でウサギが好き。長い耳に愛くるしい丸い瞳。ピョンとひと飛びする姿は何処か無邪気で可愛らしい。
ウサギは白い子もいれば白黒の子もいるし、茶色の子もいる。様々だ。
白い子は、目が赤いというイメージが私の中にある。
白い肌に赤い目。
人間のメイクには、目の周りを赤くするメイクがある。その名も「ウサギメイク」(全てがその名とは限らないが)。
メイクとの距離感が曖昧なまま始めた私のメイクがこれだった。

メイクを真剣に始めた22歳秋頃から、ウサギメイクが私の定番

メイクを真剣に始めたのは、22歳の秋頃だと思われる。
それまでもしっかりとしたメイクをしたこともあったが、ロリィタ服で出掛ける時や就活の時だけ。学校にも殆どフルメイクで行くことはなかった。寧ろすっぴんで行くことがあった。
それがどういう訳か、気が付いたら目だけフルメイクをする様になった。理由は覚えていない。
元々アイライナーだけは引いていた私。目尻を跳ね上げるキャットラインを引いていた。
それが、いつの間にか目の周りが真っ赤。ウサギメイクをしていた。
ウサギになりたい訳でもなく、ウサギ系女子になりたいと考えてた訳でもなかった。
ウサギ系女子は、寂しがり屋、甘えん坊などといったイメージがあるらしい。動物系女子という考えが気になったある時、ウサギ系女子について調べたが、本当かどうかはわからない(ちなみに、私は動物に例えると同年代からは猫系、上の年代からは犬系だと思われていた)。
メイクすると大人っぽくなる、垢抜けるとよく言われるが、私がそのメイクをすることで雑誌に出てくる女の子のように大人っぽくなることも垢抜けすることもなかった。
別に大人っぽくなりたいとは思っていない。寧ろロリィタ服を着て、可愛らしい子どものイメージが良い。今も昔もそう思っている。
私はどちらかと言うと、メイクが現在進行形で苦手だ。未だに理想の顔にはなれない。しかし、当時はひたすらウサギメイクをしていた。

目の周りが真っ赤なウサギメイクに欠かせない、アイシャドウパレット

22歳の秋から27歳の夏の今迄、私は同じアイシャドウパレットを使っている。色合いが可愛く、当時赤が好きだったので思わず手に取ってしまった。それもウサギメイクをするようになった要因の一つかもしれない。
そのアイシャドウは、プチプラで有名な化粧品ブランドCANMAKEのパーフェクトスタイリストアイズのアンティークルビーというパレットだ。
パレットは5つに分かれている。左上にはゴージャスな薄めのピンク、左下には赤、右上には濃いピンク、右下には赤みが強い茶色。真ん中にはキラキラと輝くラメがある。
真ん中のラメは華やかだが何処か儚げに見え、可愛い目を演出するのに非常に武器となる。
休みの日は、薄めのピンクを瞼全体に塗り、赤を二重幅少し上程まで塗る。目尻の方まで少し長めに塗る。涙袋にも塗る。
赤で目を覆う。囲みメイクをする。気分によって赤を濃いピンクに変える。
最後に涙袋と瞼の中央にラメをひと塗り。涙袋より少し長めに塗ると泣いた後のようになる。まるで泣き腫らしたような赤い目と相性が抜群。
そのようなメイクを何年もしている。社会人になっても仕事ではない時はしていた。
ある時は、もっと赤くしたく、真っ赤な口紅を涙袋の下にひと塗りするようになった。それを指で広げる。目の下も濃い赤。
ウサギのような赤い目にはならないが目の周りは真っ赤。

病みメイク寄りになっても、病みアピールしているとは思われたくない

赤が濃くなるに連れて、私のメイクは段々とウサギメイクというよりは、地雷メイク、病みメイク寄りになっていった。
私自身は、病んでいるから病みメイクをしている訳ではない。地雷女子になりたい訳でもない(周りからは地雷女子と思われてたかもしれないが)。
それらのメイクは、ウケが悪いと非難されることもあった。ネットでそのようなコメントを見つける。私自身は非難されなくても、他人が非難されているコメントを見つけた。
それでも、私は私がしたいメイクをしていた。
しかし、メイクは自分が見せたいイメージを相手に表現するもの。次第にそれが本当に見せたい私なのか悩み始めた。
病んでいるアピールは要らない。地雷とは言われたくない。私はその思いが強かったのだ。
そして、数ヶ月間、目の下に赤を入れることがなくなった。

愛くるしい可愛らしい姿のウサギに何処か憧れを抱いていたのかも

一方で、私がそのパレットを何年も使い続け、ウサギメイクをしている理由を客観的に考えるようになった。
今だから思うことは、自分にとって愛くるしい可愛らしい姿であるウサギに何処か憧れを抱いていたのかもしれない。
普段の私はどちらかというと、強気で過ごしている。人に甘える、頼るという考えがあまりない。弱いところを出来るだけ他人に見せない。そのような精神。
ウサギ系女子は異なる。人によってイメージは異なるかもしれないが、ウサギ系女子は人に甘える、頼る。
無意識のうちに行っていたなりたい自分へのメイクによる操作。私にとってきっとウサギメイクはなりたい私だったのだろう。
答えかどうかはわからないが、何となくスッキリして、また目の下に赤を入れるようになった。

なりたい自分はどのような自分だろうか?問い掛けて出した答えがきっとその時のメイク。
ウサギメイク、私がしているメイク。今もしている時がある。ウサギ系女子のような女の子に私はなれるだろうか?
来年はもしかしたら違う動物系女子になりたいと言っているかもしれない。
その時はその時だ。今は誰かに甘えたいし頼りたい。