メイクとの距離感、それは成長するにつれて変化した。幼い時は、屋外の象徴。家にいる時はスッピンの母が、幼稚園への通園、買い物に行く時、必ずファンデーション、眉くらいは描いていたと思う。

母にだっこをせがむようなタイプではないけど(姉が先手を打ちだっこをされていたので、母の脚を掴んでいた記憶がある)、匂いがいつもと違うこと、それが化粧品の匂いなんだなくらいに感じていた。

小学生の私は、メイクをしたら漫画のヒロインのようになると信じてた

小学生からは、キラキラの魔法。少女漫画を読み始めて、メイクで変身するヒロインを何人も見た。ラメ入りグロス、マニキュア、マスカラ、ファンデーション。これでヒロインのように、素敵な恋をして、人気者になるんだって信じてた。

スカートすらはけない、アクセサリーもつけられない、髪は伸ばせず、ヘアアレンジなんてもっての他な厳しい家庭じゃ、そんなものを塗ることなんてできなかったけど、姉がお小遣いで100均のコスメを買い揃えているところや(今よりクオリティはかなり低い)、ジュニアブランドのリップグロスを買って、こそこそ塗って姉や友人と見せあって、父に見つからないようにさっさと落としていた。

中学生からは、区分けするもの。一緒に鬼ごっこしていた友人が、休日に会うとメイクの練習しよう、服見に行こう(近所のしまむらや今でいう2階建てイオンの服コーナー)、この雑誌のモデルさんみたいになりたいって話をしだす。

眉毛がほっそーくなった友人は、テニス部で日焼けすることが何より嫌で、日焼け止め研究に勤しんでいた。私は彼女の褐色の肌が、小学校で初めて会った時から憧れだったのに、「しろは焼けないから良いよね」「日焼け止め、何使ってるんだっけ?」と言われる始末。日焼け止めが嫌いで、運動会で1日屋外にいると、先生に心配される赤さになり、水道で水を浴びていた(水浸しにされていた)のを忘れられてしまう。

それなりに恋をしていたけど、友人たちのように細くもない、彼氏もいない私は、男女を明確に分けられて(制服や体育のチーム分けとか)、自分が“女の子”と一線をひかれることに戸惑い始め、メイクから一歩ひいていた。

メイクしても、「キラキラした青春」は送れないから離れた

高校からは一歩どころじゃなく、だいぶ離れた。学校でもバレないレベルのメイクをしている子が増えて、放課後と休日はガッツリ派が多かった。

放課後はドラッグストアでメイク用品をチェックして、誕生日プレゼントにメイク用品を貰ったり、渡したりすることが増えた。

日焼け止めは一応塗るけど最低限、どスッピン。遊ぶ友達もいない私は、ドラッグストアでバイトを始めた姉からもらうメイク用品のサンプルをためこむ。

だってメイクしても、キラキラした青春は送れないし。ここから諦めモードである。

メイクはキラキラさせてくれるんじゃなかった?私まだ見習いだ

大学でメイクという存在が魔法ではなく、技だと考え始めた。つけまを使いこなしたり、高級ブランドのコスメを使ったりする同級生がいたのだ。「メイクしないと外に出れない」なんて、テレビの中だけだと思ってた台詞を聞くこともあった。

私は変わらずスッピンだけど、化粧品は持っていて、たまにメイクして。でも、どうにも下手だった。アイラインは滲むし、ファンデーションを塗っても肌は綺麗にならない(むしろヨレて汚い)、目は大きくならない(マスカラしんどい)。え、一塗りでキラキラさせてくれる魔法じゃなかった? 昔読んだ漫画を、詐欺罪で起訴したい(しない)。

仕事の時はファンデーションと眉毛は描くけど、休日でも基本はスッピンだ。私は技を修得できないまま、この歳になる。周囲は技を修得して、さらにスキルアップしているYouTubeでメイク方法を教えてくれる人もいる。みんな魔法使いじゃない、匠である。

私はまだ見習いで、これからも匠の技を修得できる自信はない。メイクと私の距離は遠いままだ。