2021年の春ドラマが、連日最終回を迎えている。今期も数々のドラマに楽しませてもらった。
中でも私がドはまりしていたのは、「大豆田とわ子と三人の元夫」。
そして私はこのドラマを見終わった今、このようなことを考えている。
「西園寺くんはこの後、どう生きたのだろうか」

西園寺くんは、主人公とわ子の元夫ではない。16歳の高校生。とわ子の娘、唄ちゃんの彼氏だ。
西園寺くんは、いいトコのボンボンで、医者志望。彼女である唄ちゃんを、とことんパシらせる(ちなみに彼は声のみの出演。ビジュアルは謎のまま終わった)。
我々夫婦はそんな西園寺くんの声を聞き、「こんな彼氏、やだぁ……」「どんな顔して言ってるんやろな……」などと話していた。
私達はとわ子と同様、親として。可愛い唄ちゃんに横暴な要望をしこたま投げつける西園寺くんに、毎回ウンザリさせられた。

西園寺くんはどうして、唄ちゃんにコーラを買いに行かせるのか?どうして、唄ちゃんに宿題を代行させるのか?
そして。私の旦那はどうして、嫁にお茶を入れさせるのか?どうして、息子にテレビのリモコンを取りに行かせるのか?(急に標的になる旦那)

旦那にされてやってきたささやかな雑事の数々。登場人物の姿と重なって

……一つ一つはちっちゃなことだ。別に目くじらを立てるほどでもない。
しかし私は、これまで旦那に指示されてやってきた、ささやかな雑事の数々を振り返り、思った。
私の旦那は、西園寺くんの未来の姿なのかもしれない、と。

「医者の嫁」という安定した未来を得る対価として、西園寺くんにパシらされ倒す唄ちゃんに、私は自分を重ねた。
私の旦那は、西園寺でも神宮寺でもない。よくある名字だ。ついでに言うと医者でもない。
とはいえ、「旦那の職種が、結婚と無関係か」と問われると、まぁ関係は、あるっちゃある。
私が彼と付き合う際に、「安定してそうなお仕事だなぁ」と思ったことを、否定はできない。

冷静に考えれば、たとえ安定した職業で家族を養っている男性も、お茶は自分で入れたらいいし、リモコンは自分で取ればいい。……私は何故だかそのことを、見て見ぬふりしてしまいがちなのだけれど。

彼の声に答えるうちに「嫁を思考停止させて従わせる旦那」にさせていた

そういえば先日、旦那は私と話す中で「僕は思ったことが口から出てしまう性格だから」と言った(昔のあだ名はジャイアンだった)。
素直なところ、裏表のない性格は、旦那の長所だ。しかしそれは同時に、私が彼にモヤモヤを感じるポイントでもあった。

だからこの時の私は、一歩踏み込んで話をしてみることにした。
「じゃあ、私たちの子どもが、思ったことがすぐ口からでてしまうパートナーに、日々使われてモヤモヤしていたとしたら、どう思う?」と、旦那に聞いてみたのだ。すると彼は、「嫌だ」と答えた。
「私も子ども達も、あなたにとっては同じ家族でしょう。私のことも大事に思っているのなら、ちゃんと大切にして欲しいんだよね……」
照れくさいことを言ったもんだ……。でも、それこそが、本音だった。

私は日頃、旦那の要望に答えるうちに、「旦那に言われたことに思考停止で従う嫁」になっていた。そして彼を「嫁を思考停止させて従わせる旦那」にさせていたのだ。

私は、息子達や娘に、大切な人とこのような関係を築いて欲しいとは思わない。
だからこそ私は、黙って父親にお茶を運び続ける母親の姿を、そんな夫婦の関係を、子ども達に見せ続けたいとも思わないのだ。

私の想いを知った旦那は「これから頑張るから」と言って、その話は終わった。

「こういう人だから仕方ない」という諦めの感情と決別しよう

「大豆田とわ子と三人の元夫」を見ながら、ソファで私の横に座り、西園寺くんの言葉におののいている旦那は、以前私とそんな会話を交わしたことなんて、おそらくすっかり忘れている。となりの嫁が今、西園寺くんと自分を重ねていることにも、きっと気が付いていないんだろうなぁ。
まぁ、それでもいいのだ。私は夫婦の会話を、今後も面倒くさがらずに積み重ねていきたい。

「西園寺くん」という存在はきっと、「旧態依然とした不平等なパートナー関係の権化」だ。「西園寺くんはこういう人だから、仕方ないよね」という諦めの感情とは、もう決別しよう。

私は旦那と結婚できたことを、幸せに感じている。
彼の好きなところも、たくさんある。無邪気でポジティブなところ、子どもとたくさん遊んでくれるところ。私と楽しく過ごしたいと思ってくれているところ。
一方私は、無邪気でもなくネガティブだし、子どもと外で走り回って遊ぶのは得意ではない。
私達は2人で夫婦なのだし、2人で両親だ。影響を与えあって、お互いに少しずつ変わりながら、生きていけばいいじゃないか。

旦那を「教育」するなんてごめんだ。本音で話して対等に付き合いたい

唄ちゃんは最終回で、西園寺くんを「徐々に教育していけば済む話だよ」と言った。
確かに私も、人間関係は「徐々に」変化していくものだと思う。人はいきなり変われないから。
しかし私は、旦那を「教育」するなんて、マッピラごめんだ。旦那とは対等に付き合いたい。「よくできました」ではなく「ありがとう」と思いたいし、言い合いたい。

だから私は、旦那の中に今後また、西園寺くんの気配を感じたなら、一歩先まで踏み込んで、本音で話す。この先50年。私は旦那の中の西園寺くんの変化を、誰よりも近くで見守りながら、生きていく。

「大豆田とわ子と三人の元夫」に続編があったとして、ドラマの中の西園寺くんも、この後誰かと結婚するかもしれない。
彼も「頑張るから」と思えて、「ありがとう」と言い合える相手が、見つかるといいなぁ
……などと、私は顔も知らない西園寺くんに、令和における平等なパートナー関係の希望を託した。