母と私は、性格が正反対である。
器用で要領の良い母と、不器用で要領の悪い私。
楽観主義の母と、悲観主義の私。
柔軟な母と、頑固な私。
もし、母と私がクラスメイト同士だったら、きっと関わることはないだろう。

なんだかんだ仲良し。母娘会とは、サロンのようなもの

口喧嘩は日常茶飯事。 しかも、母は関西出身なので関西弁での口論だ。
東京育ちの私も、家ではばりばりの関西弁で応戦する。 外では標準語で静かに過ごしている私も、感情全開で捲し立てる。
だけど、一緒に買い物に行って美味しいランチを食べたり、連休がとれれば温泉旅行をして美酒に酔いしれたり、なんだかんだ仲良しである。
私はこれらの活動のことを、母娘会と呼んでいる。

私にとって母娘会とは、サロンのようなものだ。
サロンとはフランス語で、文化人や学者、作家らを招いて知的な会話を楽しむ社交の場のこと。 実際はどうでもいい話を延々としているだけなので、サロンを引き合いに出すなんておこがましいにも程があるのだが。
だけど、どうでもいい話にこそ人生の真理が潜んでいたりするものだ。

大事なのは最適な答えを出すことじゃなくて、母娘でじっくり話すこと

私が日々もやもやと考えていることを、母というフィルターに通すと別の考えが抽出される。
目から鱗だと思うこともあれば、いや違うだろうと思うこともある。 私は頑固なので、9割方後者のように思う。
そういう時私は、「まあな、でも……」と話を続ける。
「まあな」の一言で一度母の意見を受け止め(たフリをし)、「でも」の一言で自分のターンを開始する。
結局、議論は平行線となり結論は出ない。
でも、ここで大事なのは最適な答えを出すことじゃなくて、こうして母娘でじっくりと話すことなのだと思う。

母は、幼い頃から私にスピードを求めた。
関西出身だからなのか、オチのない話をだらだら話すことは許されなかった。 とにかく話を聞いてほしかった私は、結論から話す術を身につけた。
あとは、歩く速さ。
母はまるで私を撒こうとしているかのように速く歩く。 人混みをするりするりと抜けて、ぐんぐん私を引き離していく。 負けじと必死でついていくが、あちこちにぶつかりそうになる。
「はよしいや」
これまで母に何度そう言われただろうか。
おかげさまで、私の歩く速さは成人男性よりも速くなってしまった。

その後の行い次第で、間違った決断は正しい決断に変わり得る

母がよく言う言葉で、気に入っているものがある。
「あんたの好きにしい」
ああでもないこうでもないと議論した後は、必ずと言っていいほどこの言葉で締められる。
今日に至るまで、この言葉に背中を押されて数々の決断をしてきた。
正直、間違った決断も多かった。 でも、当時は間違いに思えた決断も、正解だったと思える時が来ることも知った。
その後の自分の行い次第で、間違った決断は正しい決断に変わり得るのだ。

人生には様々な試練が押し寄せる。まるで人混みのように。
母のようにするりするりと抜けるのは、私には難しい。 あちこちにぶつかりながら、進んでいくしかないのだろう。
自分の下した決断は正しかったと思えるように、毎日必死で生きていくのだろう。

最後にもう一つ。
あちこちにぶつかって身動きがとれなくなった私にかける母の魔法の言葉。
「はよ寝えや~」
思い悩んでも答えの出ないことなんて人生にはたくさんある。
そんな時は寝るに限る。
関西のオカンはみんな、この魔法を知っている。