幼少期からいじめられっ子で、鏡で自分の姿を見るのも嫌だった

私にとってメイクとは、武装であり仮面───だった。

アラサーのしがないOLである私は、幼少期いじめられっ子だった。
誰にどのように貶されたのか、詳細はもう忘れたけれど、猫目なのを目つきが悪いと、唇が厚めなのをタラコだの言われたのは覚えている。
複数人からそうして容姿を貶されていたために、小学生の頃には自分の容姿に一切の自信が持てなかった。

中学生になると、自分の姿を見るのが嫌で鏡を避けるようになっていた。
どうせオシャレをしたって、私になんか似合うはずがない。メイクをしたって、どうせ笑われるだけだ。
中学生の頃、メイクを覚えはじめた同級生を横目に、そんな風に斜に構えていた。

私にとって、「自分のため」のメイクは武装であり仮面だった

転機が訪れたのは、中学二年生の終わり頃。当時好きだったアーティストのコンサートに人生で初めて参加した。
周りのお姉様たちはみんなキラキラしていた。スッピンで垢抜けない子供が一人で参加しているのが珍しいと声をかけてくれたお姉様の一人が、「メイクもオシャレも、好きなアーティストに会うのに恥ずかしくない自分でいたいからしているの」と、はにかんだように話してくれたのを今でも覚えている。
すごく綺麗な女性で、コンサートが始まる前に、その人の隣に並んでいるのが恥ずかしくなるくらいだった。

メイクは自分のためのものなんだ、とお姉様と話して気づいた。
どうせ、と斜に構えていたけれど、私を貶した人達の目を恐れて、今より悪くなるはずがないと縮こまっているだけだと思った。
なんで私は、私を食い物にする人達の意向に沿って生きているんだろう?自分のためにメイクするなら、他人の目なんてどうでもいいはずだ。

それから、頑張ってメイクを覚えた。オシャレもした。
顔立ちをバカにされることが多かったから、メイクでどうにか自信が持ちたかった。目が小さいと言われるから、つけまつげとアイプチで目を大きくして、猫目なのを吊り目だと言われるから垂れ目に見えるようにして。
メイクをしていれば、口さがない人から何かを言われることはなくなった。バッチリメイクをしたことで、気持ちも少し強くなったように思えたのも大きかったのだと思う。

それからしばらく、私にとってメイクとは、武装であり仮面だった。『こう見られたい』に合わせて、まるっと顔を描き変えてしまう。
今にしてみると、武装ではあったけれど、それ以上に仮面としての役割が大きかったのだろうと思う。

素顔を受け止められるようになって、もっとメイクが好きになった

社会人になって、狭いコミュニティから飛び出して、ようやく私は自分の素顔ごと受け止められるようになった。悪い部分ばかりじゃない、と物事を俯瞰して見られるようになったから、だと思う。

目つきが悪いと言われたけれど、よくよく見れば猫目なだけ。
目が小さいと思っていたのは、目の周りをマッサージし続けていたらスッキリして、むしろそれなりに大きい方になった。
唇が厚いのは厚いけれど、それなりに形も整っていたから、口紅だけで顔立ちの印象すら変えられるパーツと分かった。

メイクが好きだ。学生の頃は、色んなものを塗りつぶすようなメイクばかりしていたけれど、今はそうじゃない。『こんな顔になりたい』よりも、『こんな雰囲気になりたい』に気持ちがシフトして、仮面ではなくなったことが大きいと思う。
ある一定の武装であるところだけは否めない。だって社会人だもの、仕事がきつい時、メイクで自信満々に見えるようにして虚勢を張ることもあるから。

私にとってメイクは、武装であり仮面だった。
今は違う。今は、自分の気持ちを上げるためのルーティンであり趣味だ。
メイクがたくさんの自信をくれて、メイクをしていない自分も受け入れられるようになったから───そうして今、私はコスメメーカーで企画の仕事をしている。

私と同じように、メイクから自信を得たり、癒されたりする人が増えてくれたら嬉しい。
その一端を担えたらいいな、と思いながら、私は今日も大好きなメイクをする。