忘れられない記憶がある。
たしかあれは高校生の頃。当時わたしは共学の公立高校に通っていた。
ピアスと染髪がダメなくらいで校則は特別厳しいわけではなかった。大人びた少女たちはみなメイクをしていた。

大人びた同級生のメイクを落とした素顔は、素朴で可愛らしかった

わたしのクラスにも何人か日常的にメイクをしている生徒がいて、メイクを施した彼女たちは可愛くて大人っぽく見えた。わたしはお洒落に憧れていたけれどお洒落に手を出す自信と金銭の余裕がなかったから、眩しいなと思いながら頬杖をついて彼女たちの姿をながめていた。

しかしながら、年に幾日かメイクを禁止されている日もあった。夏のプールの授業である。
化粧が溶けて水が汚れてしまうから、というもっともな理由だった。

日頃から念入りなメイクをしている少女たちのほとんどはメイクを落とさなかった。メイクを落とさずにプールに入る彼女たちに対して先生が注意をすることもなかった。
彼女たちが瞼にのせたラメはおそらく泡となって夏の水面にきらめいていたのではないだろうか。

水泳の授業がある日の朝。いつものように教室に入るとクラスの中で1番大人びた少女と目があった。まとわりつくような暑さがこもる真夏の教室の中で彼女の白い肌と一重の瞳が涼しげだった。

あっと思った。
彼女が一重だったなんて知らなかった。口紅さえしていない彼女の顔を見て、メイクに疎いわたしでさえも彼女が日頃とても丁寧に色を重ねていることに気がついた。
教室の中で輝く白い肌は彼女の努力に気がつかせるには十分で、メイクを落とした素顔は年相応に素朴で可愛らしい感じだった。

メイクをする目的は人それぞれ。わたしもメイクをするようになった

大学生になってから、わたしもメイクをするようになった。そしてメイクをする女性にたくさん出会った。

わたしが出会った人たちのなかには、身だしなみのために最低限しているという人がいれば、自分の個性を表現するためにしている人、コンプレックスを無くそうとひたむきに化粧について学ぶ人もいた。

ラメをたくさんのせた眩しいメイクも、赤い口紅を塗った鮮やかなメイクも、瞳と髪色に合わせて長く伸ばしたまつ毛も、淡く色づく頬も、透けるように白い肌も、いろんなこだわりを見てきた。
わたし自身も大学に入ってからは毎朝鏡を覗きこみ色を丁寧にのせるようになった。化粧品について友だちと話すようにもなった。

メイクに不正解などない。けれども思い出す、彼女の美しい素顔

今、わたしは世の中にメイクを許容できない人がいれば、メイクがなければ息もできなくなってしまう人がいることを知っている。不正解などなく、全て正しさを持ち合わせている。

けれども、わたしの中で最も適正なメイクとの距離はあの夏の日の彼女であるのだろうと夏がくるたびに思ってしまう。

装った美しい人、可愛い人をたくさん見てきた。
けれども真夏の教室で見た、すべてを潔く落とした彼女の素顔以上に美しいと思うものにはまだ出会えていない。
ふとしたときに彼女の素顔を思い出す。さして仲が良かったわけではないのに、身勝手な感情が彼女が今でも美しい女性であってくれと願ってしまう。